エラスムスという存在

エラスムス「平和の訴え」箕輪三郎訳岩波文庫1961年(原書1517)

初めに

この本の翻訳は箕輪三郎となっているが、途中で亡くなったため二宮敬氏が翻訳したものと考えられる。

また平和の訴えは、当時の戦争をつぶさに知っていたエラスムスだからこそかけたものでもあり、かつそのほかにも平和関連の著書は連続的に書いたものの最後のものだそうだ。

まずこの平和の訴えは当時の官房長官であった人からカール王子の教育書として作成を依頼されたもののようである。要するに賢明な王としてはどういう事を考えどういうことをするべきかせざるべきかというある意味帝王学のような教育書であることを目指しているようである。またなぜ彼が、そのような要請を受けることになったかというのは、彼は当時において国際的にみて相当レベルの高い知識人としてつとに有名であったようである。かつ彼の本はラテン語で書かれていたため、ちょっと庶民には通用しないところがあったが、いまでいえば国際流通語としての英語で書かれたようなもので、国際的には多くの知識人の読むところになったようである。痴愚神礼賛も同様であるが、彼の書いた本はどれもかなりの版を重ねたベストセラーであった。そういう知識人がその国の顧問官となるという事はその国の重みを増すというか権威付けとなるようである。

以上のことは解説に書いてあり、そのまままとめたのであるが、この解説を読まないとこの本の価値は分からなともいえる。

平和の訴え

という著書は、何が特別にすごいのかという事はない。この表題が素晴らしいという事ではないか。しかし無知を承知で言えば、これから王様になる人にまともな平和論を教えるという事が今から考えるとチョット常軌を逸しているのではないかと考えられる。マキャベリの「君主論」との比較してみるとわかるが、エラスムスの君主論は平和の王として、王国の人々のためになることをするのが王であるという思想である。人々のための王としての教育書を作ったのだ。人民のためのというリンカーンの言葉を思い出す。だからこの平和の訴えは、ものすごい特別な論理で書かれているわけではなく、今の人が読めばその通りであるな、と読み過ごしてしまう程度の感触である。しかしよく読めば、この本の背景となる問題が隠されており、この遍歴知識人の政治や戦争に関する捉え方は国際性という視点から非常に普遍的な目を持っていたという事がわかる。行間にそう書いてある。

エラスムスという人

エラスムスは、思想史の中では日本人にとっては地味な存在である。ルターや書簡を取り交わしたトマス・モア程の華々しさはないが、当時のギリシャ語聖書の校訂などを綿密にして現在につながる業績を残しているのである。15~16世紀にかけてのヨーロッパの知的世界のうらやましいほどの交流がこの本の背景にはある。それは知識を求めて遍歴したことによってなのか(当時ギリシャ語を習得するためにはイタリアへ行く必要があった。)、そういう交流が生まれつつある時代であったのか。新しい時代がもうそこまで来ていたのである。ヨーロッパを根底から変えた宗教改革が始まり、近代の世界の扉を開いた人たちがそこにいたの。旧教か新教かとかツヴィングリとか過激なアナバプテスト派やトマスミュンツアーなどが登場して来る時期であり、またそれは同じキリスト教同士が殺戮しあうという悲惨な状況が生まれていた頃である。思想の違い、利害状況の違いはあるにしても殺し合いをすることはどれだけ悲惨なことかという事をエラスムスは身をもって知っていたようである。旧教も新教も自己の思想に忠実なら戦争は起こらない。その思想と正反対のことをしても恬として恥じない、そこをエラスムスはついているのだけれど。いまの世界にも当然通用する。悩み苦しみつつ現実と向かいあう。白か黒かではなく、本当のところは何なんだというその疑問が長く続くのが現実だろう。そういうところが感じられる本ではないか。

(ユマニスト、ラブレー、渡辺一夫、大江健三郎、二宮敬など関連する人)

ロンドン塔に幽閉され刑死したトマスモア

エラスムス=トマス・モア往復書簡、沓掛良彦・高田康成訳、岩波文庫、2015年6月発行、(原著1499年から1533年までの50書簡)

初めに年代の確認

エラスムス30才から64才まで

トマス・モア21才から55才までの現存する書簡集である。

9才差である。

1517年がルター、宗教改革始まる

1523,24年ツヴィングリ宗教改革スイスで始める。続いてドイツ農民戦争

モアとエラスムスの地位

ルネッサンスも起こり、また大航海時代も始まる。ヨーロッパは激動の時代となっていった。

イギリス国王のヘンリー8世が自身の離婚問題からカトリックから離脱、国教会が始まる。英国の最高の地位まで上り詰めていた大法官モアはこれに反対して、ロンドン塔幽閉、斬首刑となる。

一方エラスムスは今でいう遍歴知識人、特定の職業なくして宮廷の顧問官になったり貴族の教育などをして生活する、がその中ではもっとも有名な知識人だった。彼は基本的にはカトリックではあったがカトリックにも批判的、ルターのプロテスタントにも批判的であった。ラテン語文化圏というヨーロッパの知的な世界空間の中では相当影響力があったのでどちらの側も味方に引き入れたく動き、あるいは味方にならないとすれば徹底的にたたくというような状況が起こっていた。

近代の始まりという問題の時期に当たる

この時期の歴史は非常に戦乱と混乱、思想もまた大きな変革期にあった。現在ではルネッサンスがヨーロッパの近代化の扉を開いたのか、それとも宗教改革がそれだったのかの議論には、M・WEBERが結論を出した。しかし近代化の問題一応棚に上げるとすれば、ヨーロッパの学問の新しい系譜がここで起こっていた、と考えることもできる。だから単純な宗教改革中心の歴史理解も偏っているのかもしれない。ある意味そういう反省を促すような往復書簡集である。

本書の中身であるが

金をいくら借りたとか、本の出版で批判されたとか、その批判者が頭がおかしいのではないかとか礼を失しているというような話が盛りだくさんで出てくる批判者や本などはたぶん私もそうだが日本人はほとんど知らないだろうと思われる。

この本でうかがえるのは、トマスモアは英国の官僚としては外交筋から大法官になった人物であるから成功した人であるし、生まれは貴族では無いようだが結局は貴族の地位にいたという事である。またエラスムスというのはその名がとどろき渡っているがゆえに多くの宮廷はかれを呼びたがっていた。またそういう事によって生活の資は稼いでいたようである。だからどちらもその時代のトップ層に近いところで仕事をしていたようだ。

もう一つはこの時代は、聖書の解釈の問題がいろいろ出ているという事もありイタリアルネッサンスもあり、そこで生まれた知的には人文主義という時代でもあり、聖書の翻訳、校訂、自らが聖書を理解する時代に入っていたのでヘブル語、ギリシャ語、ラテン語などを学ぶことが知識人の最低の教養だったことがうかがえる。エラスムス自体がこの3言語の学校を作ったようでもある。またギリシャ語を学ぶためにはイタリアへ留学しなければならなかったが、モアはその留学生からギリシャ語を習った人で留学しないでギリシャ語を習得した初めての人物とも描かれている。ルターが原典からドイツ語での聖書翻訳をしたようにイギリスでは英語翻訳がスタートし種々出回って来だしたようである。レベルは当然いろいろあったようだが。

本書の重要なところ

本書の本当の重要性は二人の関係である。友情という絆に結ばれていて、話は快活である。9歳年上で知的な先輩としてモアはエラスムスを見ている。それもイギリス人とオランダ人である。海を隔てたところに住む二人の知識人がその時代にどういうめぐりあわせであったかはわからないがそういう知的な交流としてのヨーロッパ全体という大空間があったようである。この空間ではラテン語が活躍した。このようにな人に代表される遍歴知識人たちによって交流がさらに深まる。手紙で紹介されたり、また手紙をそういう人たちに託して持って行ってもらう、など郵便制度のない時代の困難な手紙という手段での多くの交流があった。歩いたり、船にのったり馬に乗っても大変な距離である。その物理的な距離を超えて彼らは付き合った。現代のオンラインコミュニケーションではないがなかなか面と向かっての議論ができない、そういう時代の本当に面倒な、そして悠長な感じが出ている。首を長くしてどちらも手紙を待っている、またそれがゆえに友情も深く、思想的な連帯も強くなっていったのではないか。

新しい発見

 二人に共通するのは、思想的には保守的であるという事だ。カトリックを守りたいという意志は二人に共通のもののようだ。つまり世界の名著に出てくるような先端的な人物が案外保守的であったというのは新しい発見である。だからこそ宗教改革でヨーロッパ近代を切り取るという事も偏っているのかもしれない、と感じるところである。)

結論

この本は最初はとっつきがよくてサッサと読み終えるかと思いきや、分からない話がたくさん出てくる。然しそれはそれとして置いておくとすれば二人の友情というものをはっきりと教えてくれるものになっている。ますますこの15,16世紀の端境期のこの奥深い知性の世界に私も入っていきたいと思うようになった。だからある人が言っていたがヨーロッパの学問もおざなりにできない。今すぐアジアだと言っても通用しない。今後世界的な思想の革命がおこるのかは分からない。あるいは彼らのように大きな変動期が目の前に来ているのかもしれない。そのためにも友情を温め、互いの知性を磨いておく必要はあると教えてくれる本である。

日本の社会党の解党の意味

「社会主義」マックス・ウェーバー、濵島朗訳・解説、講談社学術文庫、昭和55年発行(1980年)ウェーバーの1918年講演に基づく。

社会民主党の衰退、解党、解散について考える。福島みずほ党首がテレビに出ていたが、一人社民党でやっていけるのか?

社会民主党の解党の遠因

マックス・ウェーバーのこの本を今更ながら読んで、日本の社会民主党がこうなるのも仕方ないかなと思うところである。

基本的には、冷戦が終わり、ソビエト社会主義的な国家が崩壊し壮大な社会主義の実験は終わった。悲惨な革命と悲惨な国家経営が破綻して喜んだのはその政治に抑圧されてきた民衆、大衆一般ではなかろうか。結局社会主義的な夢はこの70年程度の長い時期ではあったが多くの人が予測したように終わったのである。この問題を受けて日本の社会党も名前を変えて社会民主党としたのだけれど、やはり結果としては限りなく必要のない政党になっていった。

いったいこの理由は何だろう。

社会主義という問題の概念

社会主義というのは、マルクスの描いた世界のこの資本主義の自然崩壊によって社会主義が必然的にやってくる、またその後には共産主義というものが待っている。これは人間の究極の解放であったはずであるが、結局そうはならなかった。

私が感じる率直な一つの見解としては、人間の解放という神の国を目指す戦いというものをマルクスは描いたところに大失敗があった。批判哲学、批判経済学としては有効であった。しかし誰も知らない神の国があるという事を提言したことによって多くの人がこの説に乗ったわけである。然しそれはなかった。歴史的な大実験をしたが大失敗に終わった。このことが現在の社会民主党の位置づけとなった。共産党がいまだあるではないかという問題は、資本主義がある程度の深刻な問題を抱えているからだ。現在が問題ある状況という事を踏まえて存在している。然し早晩これも衰退の一途をたどることになるだろう。これは問題の状況が経済格差から来ているという事、グローバリズムによる国家間の経済格差という問題もあり貧しい人たちの一定の受け皿として存在してる。これは公明党も同様である。

M・ウェーバーの見解

社会主義の失敗、なぜか、これについてロシア革命が勃発した時期にM・ウェーバーが講演(1918年オーストリアで将校群を相手に)した内容にほぼその理由が述べられていて恐ろしいくらいである。M・ウェーバーがマルクスの本をしっかり読んだかどうかはよくわからないらしいが、その基本的な問題をとらえて離さない目は鋭いとしか言いようがない。

1、マルクスは時代をプロレタリアートと資本家との階級対立とみていたがそこにホワイトカラーという中間層が出現した。また機械の登場によってプロレタリアの統一に破綻が出てきた。

2、ソビエト的中央集中の管理体制というのは、官僚制化を生み出す。仕事=行政はこの官僚の下で行われる。腐敗への道、非能率への道が準備されている。官僚層の脱プロレタリア的性格

3、近代資本主義では、資本家の退場と経営者の登場。株取得の民主化と所得層の広範化。

その他いろいろの条件が出てくるが、一々が納得できるものである。要するにマルクスが描いた神の国は、そのように現実的にはならないし一層官僚制化することによって人間の解放よりむしろ奴隷化が図られるのではないかとウェーバーは考えている。

今なおあるマルクスの人気と資本主義の持つ問題

しかし今なお多くの人(特に知識人は)はマルクス主義に親近感を持っており、そのマルクスの一言一言に注意を払っているのである。それに若き(26歳)マルクスの書いた、「経済学・哲学草稿」(光文社発行、長谷川宏訳・解説)の解説によれば、当時の若きマルクスが今の派遣労働者の問題を言い当てているという解説をしているが社会主義の失敗についてはどう考えるのだろうか。あれはマルクス主義ではなかったという事かもしれない。本当のマルクスとは違うものだった、という事もいえるがしかしウェーバー的な経営、支配という視点が抜けていたのではあるまいか。かつ今なおそういう視点はマルクス学関係者はだれも指摘しないのである。プルードンの民主的労働管理を持ち出す人(哲学の貧困、的場昭弘編訳著、作品社)もいるが指導、決断などはどうするのか、また工場だけが生産の現場では今はないのである。本社の経営企画、営業マーケッティング部門という工場労働者ではない人たち(ホワイトカラー)が基本的には参加している。また工場労働者を含めた工場自体が経営もしているのが現実である。そういう意味では現実の労働者と経営の問題はあまりに大学の学者には分かりにくいだろうと思われる。何かを生産していれば工場が生きていけるわけでもないのである。

又労賃問題も全く問題ないという事はないが討議できるようにはなっている。派遣労働者の低賃金と経済格差は資本主義の大きな問題であるがそれが社会主義でなければという問題ではない。

終わりに

マルクスは革命を一つの梃子として考えていた。時代変革のための方法として、しかしそれが人を解放するものではないことがわかった現在、変化すべきではないか。マルクス主義も。しかしマルクスの訓詁学をしているだけでは何もソビエトがしていたこととかわらない。

マルクス主義あるいは社会主義が批判者としての役割はあった。しかし今は終わったとしか言いようがない。信用がない、実績がない、誰も期待しない。

今残っている我々が頼れるのは民主主義という言葉だけである。民主主義による永続的な改善、改良しか今はこの世界を良くする道はないのかもしれない。

マルクスの資本論は今どのように読まれるべきか


熊野純彦、マルクス資本論の哲学、岩波新書、2018年1月発行

マルクスの最近の流行

この本は、最近のマルクス流行の中の一冊であると言ってよいと思われる。このマルクスの人気は、アメリカの不動産を端緒として始まった世界的金融危機を背景として、日本では宇野弘蔵の「恐慌論」などが売れたという事もあり、続々と資本論関係、マルクス関係の本が出版されてきている。日本のバブルの崩壊やこの世界的金融危機などを見るにつけ、資本主義は安定していない、また日本の賃金格差問題、かつグローバリズムにより国家間格差が一層広がっていく状況が出ているため、ネグリのマルティチュードなどのこれまでのマルクス主義的革命を見直すマルティチュード(群衆、人々、ホワイトカラーを含めている)による革命の本が出版されもするのである。また彼らは「権力を取らずに世界を変える」という本も書いている。フランスの大蔵大臣であったジャック・アタリの「マルクス」という本もここ近年出版されている。またデヴィッド・ハーヴェイのマルクス経済学的な現状分析的な本も沢山出ている。

この本の内容

これは、マルクスの資本論をある意味では分かりやすく解説している、と言ってよい。資本論というのは副題として経済学批判、と書かれている。その経済学批判というその中身は何か、というところに注意深く言及しつつ要点をまとめている。資本論の中身を要約しつつマルクスの本来の哲学、思考方式を表に出そうとしているところに特徴があると言える。このことは一言でいうのはやさしいが著者の長年の大変な学識の積み重ね、試行錯誤の上に成り立つところの著作であるという事である。一応そういうことは重要なことなので踏まえておきたい。

この本の肝

一番重要な処は剰余価値の捻出のところだ。ここがわかればマルクスが理解できるという箇所だ。。この剰余価値というのは労働者の価値を搾取するところから生まれるものであるという事だ。労働時間の延長とか強化とかそういう事によって生まれるものでそれを資本主義では「利潤」といっている。これによって「近代」資本主義の基本が成り立つという事を非常に丁寧に説明している。

また商品というのは等価交換、同じ価値同士の交換である。この原則が理解されないとはっきり言ってマルクスは理解できない。ここで言っている、価値というのは価格ではない。使用価値、交換価値と言っている価値のことである。使用と交換という個別の問題を捨象した時に出てくる抽象としての価値である。これは人間の抽象としての労働と同じである。この等価交換と剰余価値の説明のところがわかればマルクスの資本論は理解できたといってもいいのではないか。その他の箇所ははっきり言って学生時代に戻らされるようで意味がないともいえる。(本文、価値形態論の箇所を参照ください。)

近代資本主義は何故発展できるのか

資本主義がなぜ資本の原始的蓄積によって拡大再生産ができて、、資本主義を発展させることができているのか、という事を古典経済学を批判的に見ながら分析していく。商品というのは絶対的に必ず等価交換である。そうであるなら、なぜ利潤が生まれるのか、それは労働価値の搾取によるのである。この理論に賛成するかしないかは別であるが、剰余価値という利潤を資本主義はどのように手に入れたかという秘密に迫った。このことはだれも論理的に研究もしていなかったし論理的に主張されもしなかった。私にはわからないがこの秘密へ迫る論理というのがヘーゲル哲学であったという事だ。しかし資本論全三巻がこの論理に従って論理の破綻なく書かれているという事だけでもすごいと言わざるを得ない。

経済学批判の背景

この経済学批判の根底には彼の特有の人間社会についての理想論がある。これは共産党宣言に書かれているというものであるが、この人間社会についての理想から「近代」に特有の資本主義の経済学に対する批判というものが出てくる。要するにアダムスミス以下の経済学者の経済学というのは資本主義、資本家階級の視点から経済現象を分析しているだけであってそれは本来的な見方をすれば転倒しているのである、という事である。そのためここでも最後の章にマルクス描いた遠い将来の理想社会の像の議論となる。この理想社会のイメージというものが社会主義であったり、共産主義であったりするわけである。然し私としてはこの個所に最大の疑念を抱かざるを得なかった。

私の見方

この熊野純彦氏の本を読んでこれがマルクスだとすればいかにその理想的な人間社会というものが間違いなのではないかという重要な疑問が生まれる。若いころには気にも留めない言葉であったが、今では非常に重要な錯誤をマルクスは犯していたのではないかという気にもなる。また多くのマルクス学者という人たちもそこを本当にその点を重要に考えて来たのか、という疑問である。

「能力に応じて(働き)必要に応じて(取る)」という言葉があってこれが著者も言っているがこの言葉にある世界がいかに理想であるかという事を強調している。しかしこれは相当に問題な世界である。簡単にいえば超在庫的世界といってよいのではないか。超無駄がまかり通る世界である。今回のコロナワクチンも接種者が選定される。それは専門家による采配である。これを対比して見るとわかりやすいのではないか。全員には渡りきらないのである。世界60億の大衆には渡りきらない。これを選別する。然しこれは理想社会じゃないからとは言えない。そういう限界が常にある。それが渡りきることがあればそれは超在庫の世界である。専門家と素人、いかにすべてを民主的にやろうとしてもこの知的な差はいかんせんどうしようもないものを予想させる。こうなると官僚が出てくると言うわけである。指導者、官僚というものこれはウェーバーがつとに論じてきた世界である。

著者は何が奢侈品かという事にも触れている。これも哲学者としてはばかばかしい議論である。このマルクスの「能力に応じて(働き)必要に応じて(取る)」ここに彼の真の論点があるとすれば非常におかしいことになりそうである。またこれは生産性が超飛躍的に増加して地球の60億の人口を「簡単」に養えるレベルの生産と在庫がないといけない。養えるというのは、食料だけではない、すべての需要である。

彼の理想社会には疑問が付く。人間理解も問題を内蔵しているように思える。

現在の問題は、香港問題などに現れているように社会主義から自由主義へ戻りたいのである。ロシアの経験もそうである。これについて如何に考えるかという視点がないと読者をマルクスへ導いていくのはむつかしいのではないか。その点についてはそもそもマルクスの考えていたものとは全く違うという事が起こったと言ってる。この言い方は多くのマルクス学者の意見ではあるが。福島の原発は資本主義の深刻な問題として意識している。このことによって資本主義が否定されるべきである、という事が言外に言われているかのごとくであるが、しかし片手落ちのような気もする。私としては資本主義が深刻な門題を抱えているから即社会主義とか共産主義的世界に向かう努力が必要とは考えられない。このマルクスいうところの理想社会、それに対する基礎となる人間理解に疑問が付かないと単なる一時の流行となる。出版界、あるいは学者世界のマルクス主義の流行である。それで終わる可能性はあるだろう。

古くて新しいマルクスーウェーバー問題

「ヴェーバー社会科学の基礎研究」内田芳明、岩波書店、昭和43年(1968年)発行

1923生まれだから、45歳の時の作品といえるだろう。

彼は、「ヴェーバー『古代ユダヤ教』の研究」(岩波書店、2008年発行)

のなかで我が研究史に書いているが、すでに学部の卒論が岩波の雑誌、大塚久雄のヴェーバー特集の「思想」に載った。またその一部が岩波から出たヴェーバー研究の共著として出されたというから、若くして才能を開花させてきたようにも思える。しかし本人は鈍才と思っていたようなことが書かれてある。東京商科大学(現、一橋大学)出身。

ヴェーバーとマルクス

この本は、第4章が「唯物史観とヴェーバーの宗教社会学」、第5章「社会主義的未来観をめぐるヴェーバーとマルクス」、となっている。どちらの章も、要するにヴェーバーとマルクスのぶつかり合う社会観、歴史観、未来観について語っている。またよくよく読むとこの本全体がマルクスを意識して書かれたものであることがわかってくる。というのはヴェーバーという人は非常にマルクスの社会観を意識しており、そのため彼の社会学が生まれたといって良いくらいであるとこの本には書かれている。そのためどこの個所をとってもマルクス問題というものが出てくるのである。

この本をなぜ取り上げるのか

前回、社会民主党の解党問題を取り上げた時に、ヴェーバーの「社会主義」という本を参考にした。この濵島氏の解説も非常に詳しいのであるが、さらにこの内田氏の論文は徹底したもので、解説というよりも研究論文として発表しているもので説得力がある。ゆえに、今更ではあるがこの本を取り上げたい。しかし現行のマルクス研究の方たちはこの種のヴェーバー問題という事には全く頓着しないようにも思われる。こういう研究業績を踏まえたマルクス論があってもいいのだがそういう著書はほとんどない。(熊野純彦氏のマルクス資本論の哲学にもヴェーバーの批判は触れられていない。何故と疑問に思う。)また最近のヴェーバー研究者もこのマルクス・ヴェーバー問題というのはすっかり無かったかのように触れられていない。(2020年12月号現代思想、没後100年マックス、ウェーバー特集にもこの種の論題は皆無である。)これも学問上の成果の継承という意味では残念なことと言えないだろうか。

またこの本は1968年発行というように今からすると非常に古いものではあるが、彼がその後書いたヴェーバーとマルクス」(1972年岩波)「歴史の意味をめぐる闘争」(2000年岩波)、最後の大著「ヴェーバー「古代ユダヤ教』の研究」(2008年岩波)と続いてくるが、どの本もマルクス・ヴェーバー問題であり同じ問題をめぐっている。かれのヴェーバー研究、とくに宗教社会学研究の深化によって思索が深められてきた成果である。この基礎研究という本は彼の問題意識の端緒となる論文でもあり実際に今読んでも納得できる内容となっている。これから後続の本を読む人にも重要なヴェーバー・マルクス問題の始まりの文章である。

この、4章、5章の内容

この本の全体を要約することはむつかしいので、私なりの緊急性を鑑みてこの4,5章だけを今回は扱う。

4章、唯物史観とヴェーバー宗教社会学

簡単に要約すると、マルクスは資本論その他で、近代社会の経済的運動法則の問題を暴露することにあった。それが、剰余価値による搾取問題である。それがゆえに近代資本主義が発展できるのである。然しこれは基本的には唯物史観的には前史である、という。私経済、私的所有などの前史が終わると未来史がある。この未来史は私有財産の廃棄、生産の社会化などのよって社会主義、共産主義へ向かう方向性を示しているが、これは、著者によると論理的に越えがたい飛躍がある、という。さらに続けて、このマルクスの発想にはユダヤ、キリスト教的伝統である「メシアニズム」「預言者主義」「終末論的信仰」の伝統に立っているがゆえにこの論理が認められているのである、という事になる。内田氏はこの、ユダヤ・キリスト教的文化世界の文脈を(ヴェーバーの宗教社会学からの研究から)マルクスの世界を読み取ることによって、マルクス主義の意味解明と限界を見ていくものとしている。

著者によれば、マルクスの用語である「自然法則」、「必然性」、「運動法則」、「自然史的過程」などの用語もすべてそのユダヤ・キリスト教的文化世界観からくるところの言語であるという。

5章、社会主義未来観をめぐるヴェーバーとマルクス

4章とは別の章となっているが基本的な問題意識は4章の流れを継承しているのである。

この章を象徴するような言葉があるので下記の通り引用したい。

p362カール・レーヴィットの厳しい指摘がある。

何故レーヴィットなのか、言えばヴェーバーの研究を宗教社会学へ変更させた人物である。

そのレーヴィットの指摘の部分を引用する。

”マルクスの「この信念(資本主義が崩壊し社会主義、共産主義に移行する)には、メシアニズムの根本的なもの、つまり勝利の前提としての、屈辱と贖いの苦難を、自ら進んで肯定するという面が欠けている」という点である。「プロレタリア共産主義は、十字架を伴わない王冠を要求する。つまりかれは、この世の幸福によって勝利をえようとする」。この問題は全体としてマルクスにおける唯物史観と革命の思想の最深部における盲点をつくことになるであろう。資本主義の社会の「疎外」や「搾取」を人間性の尊厳と正義の観点から批判するというマルクスの思想の背後もしくは根底にあるはずの精神的立場は、自己の物的利益に終始せんとする自己中心の利己的立場ではありえない。なぜならそれは現実的には使命のために殉ずる犠牲的精神なくしては到底実現されないであろうから、、、、”(「 」の部分がレーヴィットの引用である。他は内田氏の言葉である。)

内田氏はこのレーヴィットの言葉を要約して「つまり、共産主義的エートスを持った人間の犠牲的、献身的活動と指導と、がなくしてはその実現はあり得ぬという事になる。」と語る。

これを読んでなるほどと思う方もいらっしゃると思う。本来的にはこの人間の変革なくして共産主義も社会主義もあり得ないという事を語っている。ほかにもいろんな論点が示されているが、この共産主義的エートスという言葉に集約されているように、そういうエートスを生み出す素地がなければマルクスの論理である革命は起こったとしても社会は実現できないという事である。ここに社会主義の大きな欠陥と問題がある、という事がある程度はっきりしていると思われる。実際、ソビエトの官僚的な腐敗、中国は日常茶飯事の汚職、賄賂の横行、北朝鮮など人間無視的世界など、社会主義が色んな道をたどるという事とは全く別に現状の社会主義国は人間の倫理問題はなおざりにされている。これは香港問題にも現れている。最近中国のト・小平の言葉が朝日新聞に載った。(朝日新聞12・23夕刊のはず)天安門事件に関して中国が国際的批判を浴びているときである、国権は人権に優先するという趣旨のことを語っていた。これも倫理問題が排除される典型である。

最後に

こうしてこの種の問題はその後の内田氏の著作で深化されてきており最後の古代ユダヤ教でその集大成が行われている。まともに社会主義の問題を正面から取り上げた研究論文というのは数少ない。そういう意味では価値ある学的業績といえるのではないか。

また今さらにヴェーバーかと思われる方もあるかと思うが、現代を導く一筋の道はこのエートス問題ではないかと私は考えているからである。マルクスでは批判できないある一面が現代には重要となってくるのではないか。今後さらに内田氏のテーマを掘り下げていくことになるかもしれない。

現代中国人の自己理解

「思想空間としての現代中国」汪暉(ワン、フイ)村田雄二郎、砂山幸雄、小野寺史郎訳

岩波書店、2006年発行

汪暉(ワン、フイ)1959年生まれ、南京大学卒、精華大学教授、ワシントン大学、コロンビア大学、香港中文大学、カリフォルニア大学、ボローニャ大学などの客員教授で人気のある方のようだ。たぶん日本では他の本での翻訳はなく彼の著書としては日本初である。

またこの本は東京大学に2005年から2006年3月まで客員教授として来日、講学した時の縁で出来上がった。論説自体は1994年から2000年までにかけて書かれたものだ。

この本は何を言おうとしているのか

「思想空間としての現代中国」といういかめしい表題が付けられているが、要するに現代中国とは何か、このように急激に変化している中国の文化状況、経済状況つまり自分は何かという問題を巡っている。(自序)これはなぜか、一つにはマルクス主義の思想だけで現代中国はわからないという事である。マルクス主義では現代中国は社会主義でかつ成功しているという事であるから、それ以上にこの中国を分析できる理論はないのである。中国はマルクス主義の完成形の途上という状態の中にいるのでマルクス主義がある意味終わっているのである。

この本の特異な所

この本は、中国人としては珍しく、思想史の中で、マルクス以外にもマックス・ウェーバーやハバーマス、フーコー、ウォーラーステイン、ブローデルなどを取り上げている。ヨーロッパの著名な学的、思想的成果を取り入れつつそれを批判的に解釈し現代中国の世界を自分の言葉でしっかり見定めたいという事である。とくにこのウェーバーについてはまさか中国でこのウェーバーが評価されるという事がありうるのかという驚きである。これを読む人はみなそう思うだろうと思う。

内容

1,中国の現代思想の流れ;毛沢東以後の世界でのマルクス主義の変遷、どこに重点を置くか、批判哲学としてはどうなのか、毛沢東はどのように批判されるべきなのかなどをめぐってマルクス主義としての変化、その中で急激な経済発展している現代中国をマルクス主義的にはどう見るのかというようなことである。そのことによっていろんなマルクス主義があるという事だ。

2,1989年問題である。これは大衆を動員して大変な運動となった事件である。このことをめぐって書かれている。自分が関係したかどうかは書かれていないが、多分30歳のころであるし、大学にいたとすれば関係はあるはずだが、ここではこの運動の価値や意義を理解できていなかったと書かれており、なぜ理解できなかったのか、という論点で話は推移する。しかし知識人にはこの事件は大変な衝撃を与えたようだ、という事がよくわかる。ここには現代中国での様々な社会的問題が噴出しているさまが描かれている。農業と都市の格差問題、社会的所有問題などをめぐってその事件前、事件後がどのような展開があったのか、というある意味息苦しくなるような話ではある。

3,最後はウェーバー問題である。これはマルクス、ウェーバー問題とは多少違うのであるが、ウェーバー理論というのは特にヨーロッパ近代をめぐっての理解である。この近代概念というものが著者がある意味苦しんでいるところではないか。中国にとっての近代とは何か、また言われるところの近代とはどういう意味でなのかという事を通して自己を知りたいという発想がここに熱く、充満している。「プロテスタンティズムと資本主義の精神」、「儒教と道教」を主として引用している。特に注目すべきところは、近代(この本ではモダニティと訳されている。)というヨーロッパ発生のこの言葉を疑ってかかる。中国にはこの言葉はないそうである。後書きなど見ると、普通は近代のことは「現代」というそうである。ここからして中国的には近代という言葉を疑問視せざるを得ないという。またウェーバーの使っている「合理化」という言葉これも中国にはないそうだ。ゆえに、この「近代」だけでなく「公」「社会」「国家」「個人」・・・・等々の言葉はほとんどがヨーロッパから輸入された言語ではあるが、翻訳だけの問題ではなく中国の歴史と文化がこの言葉を使っているという事からして実際どのようにヨーロッパとこの言葉の概念の違いがあるのか、中国としてどのようにこの言葉は歴史的に使われているのかという事を知ることが中国の思想研究の中心になるだろうという事を言っている。(このことは日本でも言われていたことでもあるし、同様の問題はあるだろう。)

読後

今後このような日本でも読まれることになる知識人が沢山いるのか、いないのかという事が気になる。またこの本の1989年問題は中国では未発表のようである。また中国での知識人の役割は日本とは全く異なっているかのようでもある。政府筋のご意見番としての知識人というのが本来のあり方のようであるが、この方は批判的知識人となっているから、そうではないのか。それとも政府内では本来政府の取り上げた思想でなければ許されないという事でもなく案外厳しい意見も検討されているのか、この中国の事情については私としてはよくわからないとしか言いようがない。しかし世界と話の出来る知識人という存在がある、というのは世界にとっても中国にとっても、日本にとっても重要なことである。

(翻訳の問題か、ある意味読みにくい本である。訳語が中国と同じ漢字があるが違う意味であるとかまた本質的には中国では問題視されるようなことは書けないという事もあってなのか読んでいてスーと頭に入っていくような文章とはなっていない。)

民主主義から生まれたヒットラー

「現代民主主義  思想と歴史」権左武志、講談社メチエ、2020年12月発行

権左武志という人は、岩波新書「ヘーゲルとその時代」を書き,最後の方にマルクス主義の問題点をヘーゲルから論じるという事に可能性を感じた。そこにあるマルクス市民論の問題の展開をもう少し掘り下げてもらいたいという気持ちで彼の著作の動向を見ていたが、佳作の人である。既刊の著作は高すぎて読めないし図書館にもないので手に取ることができない。調度良く適当な入手可能な価格で講談社メチエから出版されたので手にする。

なぜこの本を読むのか、

要するに新自由主義、資本主義の終焉、歴史の終焉などと言われており最後は資本主義が終わり社会主義になると予言する人たちもいるのであるが、本当にそうなのか、そんなことがあるのかという気持ちと今の問題をすぐ社会主義に結びつけるのもおかしい。今の問題をよく把握したうえで今できることを考えなければならない。すぐ革命か?すぐ社会主義か?理想を言えばすむのか?遠い将来のこと、ほとんど来ない未来のことを言えば正解なのか?もはやそういう発想は、はっきり言えば愚かしいとしか言いようがない。そこで今足元でできることの可能性、今手を上げるとすれば何に手を上げるのか、今行動しようとすればどういう行動がありうるのか。唯、「今」という現実に何をすればいいのか、どういう指向を持つべきなのか。何か指針があればと思っていた。また遠い将来にあるのかないのか分からない桃源郷的理論もそういう発想はもういらない。そこで可能性のあるのは、資本主義か社会主義かではなくこの民主主義というものの現在あるこの道の可能性を見ていくしかないのではないかというあれかこれかではなく第三の道としての民主主義を探る事が必要だと思うようになった。

本の内容

基本的には第一次大戦後のドイツ問題、ここにM,ヴェーバー、C、シュミットのような政治学者、憲法学者ががいた。敗戦国ドイツの立て直しのためにどういう政治体制が必要かというような議論がさんざん起こっている中で(この時期は非常にドイツは複雑な問題を抱えていた。第一次大戦の敗戦処理、戦勝国の論理、小ドイツ論、大ドイツ論、ドイツ革命、ロシア革命、ワイマール憲法の成立、国民国家の成立とわずかな時期に非常に不安定な状況に置かれている。)ウェーバーの指導者民主主義という体制が導入される。この考え方がヒットラーの登場を許した、という。ヒットラー体制は民主主義のなかから生まれた。また直接民主主義のフィクションによって多数者の支配と独裁の登場、さらには少数者への同化作用、排除、浄化にまで行きつく。民主主義といってもなんと多くの問題を抱えることなったか、という点が指摘される。特に民主主義とナショナリズム(血縁的、文化的、言語的、人種的、宗教的同一性による。)が結び付くとヒットラーがいなくても同様の問題が起こる。これをかれは民主主義のパラドックスという。このパラドックスの歴史を振り返って見るのが彼の民主主義の歴史と思想である。(ある意味戦後のナショナリズムの発火点となる考え方、民族自決論の問題点についての説明がある。)

著者の強調する点

決められない政治という言葉や、日本の菅首相は日本を代表する首相なのかという素朴な疑問、もっとアメリカのように直接選ぶようにはできないのか、という願望、国民の負託を受けた代表の政治への期待、これは発想としては危険なナショナリズムを待望する姿勢であり、排外的、少数者排除、の思想になりやすい。著者は言っていないが、多分このことが嫌韓、嫌中を生んできたともいえるのではないか。

直接民主主義的なものが非常に問題を抱えるということ特にナショナリズムと結びつくことによる危険という問題が特に指摘される。特に日本の改憲論議で国民投票をすればいいのではないかという議論がなされているがこれこそナショナリズムと結びつき一番危険な方向にあるという。

読後

民主主義の可能性というテーマで読み始めたが、いろいろ問題が多くて一概に民主主義といってもいろいろある。民主主義とその制度の問題を考えると複雑である。また多数の少数支配問題の部分、特に民族的に少数者が多岐にわたる多民族国家などはそういう問題が露骨に表れてくる。これは中東もそうだし、ロシア、中国も、アメリカも同様で国民国家のいわゆる民族自決権ではくくることが出来ない上に解決できない。コソボ問題はその典型として表れた。血縁的、文化的、言語的、人種的、宗教的同一性がない国では直接民主主義的な選択というものが非常に問題になってくるという事だ。日本はどうか、日本も沖縄、アイヌ、在日朝鮮人、部落問題を抱えている。更に最近話題の在日ベトナム人、その他の少数ながら移民こういう人たちに対しての政治はいかなるものになっているか。基本的にはこの民主主義のパラドックスを指摘したところで終わる。とくにそのための解決策という事を示しているわけではない。それはそれでいいのではないか。

それでもなお、今からもっと民主主義の思想、制度を勉強しておく必要がある、という事を思い知らされる。

大衆と市民の政治的違い

「大衆」と「市民」の戦後思想、藤田省三と松下圭一、趙星銀(ちょ さんうん)2017年発行、岩波書店

著者は韓国生まれで1983年生まれ、韓国延世大学卒、東京大学政治学科博士課程修了と裏付けには出ている。現在明治大学の講師である。現在37歳くらいか。さらに言えば女性である。

驚き

この本をまず日本語で書いたということに驚く。また日本のことに非常に通じている。丸山批判や大塚批判とは別の次元にいるがゆえにそういう批判的な本ではなく、藤田省三と松下圭一の思想を丹念にたどっていき、彼らの持つ可能性を提示しようという努力が見える。わかりやすいうえに、私にとっては懐かしい人たちが満載である。忘れていたような人たちがたくさん出てくる。また藤田の先生である丸山を直接扱うのではなくその弟子を扱ったということも彼女の問題関心が政治思想史というよりも民主主義を担う人々の力、思想というところに焦点があるからだろうと思う。また今日では言及されることの少ない松下圭一という学者の思想を追っていくのも極めて珍しい、と言わなければならない。多分日本の学界の悪い習性の中に育っていないがゆえにこういう良書を書くことができたようにも思える。

この本の系列

戦後「社会科学の思想」森政稔(NHK出版)の系列に属するものである。日本の戦後の社会科学を専攻した知識人が日本の社会、またそこにいる人たちをどのように認識して学問の中に取り入れていき、日本の政治の動向と実践的対策とともに何とか科学的認識にたどり着くための過程を説明したものと考えられる。特にこの二人は日本を代表する政治学者であり同時に丸山門下生でもあった。かつ松下は1929年生まれ、藤田は1927年生まれでほぼ同世代である。簡単に言えば丸山門下生では松下はやや右派、藤田は左派ということになるだろう。

この本の内容

1,概略

松下圭一の主張は基本的には、社会に対する現実的な、かつ改良主義的な見方、藤田はややマルクス主義的な見方、講座派的つまり日本の天皇制を制度とだけ見るのではなく日本の民衆の心の中までを決めてしまうエートスとしての見方を分析している。

2,論点

この本の一番重要な論点は、言葉である。市民、市民社会、市民運動、大衆、大衆社会、大衆運動その他人民とか国民とか住民とか住民運動とか人々とかプロレタリアートとか民衆とか中間層とかいろんな呼び名がある。この日本の人々を政治的にみるとどう見えてくるのか、それによって呼び名も変わるわけである。この特に市民と大衆という言葉に限りなく限定してこの本は二人の言説をたどっていくことになる。この二つの言葉は非常に重要である。特に市民という言葉は、ヘーゲル、マルクス時代の市民という概念があって、今でも市民というとブルジョワあるいは城の中に住み自前で戦争があれば武装して戦える人たちであり、市民権というものを享受している人たちという明快な定義がある。このために現在の一般的な民衆を語彙としてこの言葉を使いたくない社会科学者も多い。しかし日本では言葉の意味が大きく変わってきているのでありその変化をたどることも重要である。いまだに市民をヘーゲル時代のブルジョワと考えている人は少ないとは思うがマルクス主義の方たちはそういう観念で仕事をされている方も多い。またその市民という言葉を使いたくないがゆえにマルチチュードという言葉を使うマイケルハートのような人もいる。

市民という言葉が定着していない頃に、べ平連の運動があった。この時に、「ベトナムに平和を、市民連合」(べ平連)に多くの人から質問が来たようだ、私は村に住んでるが参加できるのか、というような。だからまだ当時は市民という言葉が一般的ではなかった、という例である。都市に住んでいる人は都民または市民か府民ということになるがそういう意味ではない。市民という言葉出てきたのは60年安保の時当たりらしい。

(もう一つ言えば、「思想空間としての中国」でも出てきたが翻訳語の問題、その国にそれに該当する言葉がないときには造語するのであるが、その言葉の意味が歴史的に変化していくことになる。)

3,二人の見解

藤田がこだわったのは市民である。松下がこだわったのは大衆である。

これは言葉だけの問題ではなく、経済状況の段階、政治に対する意識からくる概念である。松下はこの戦後の1960年までの間に経済成長の中で一般の民衆が大衆としての塊になってきたという。

「『大衆社会とは何か。それは労働階級を中心とするこれまでの忘れられた名もなき人々が政治生活、社会生活の前面に出て大量に進出して20世紀独占段階の社会形態』である。、、、、、私たちが人生はこのようなものだと決めこんでいることも、実は一世紀前と比較するならば、そこには大変な革命的変化がみられるのである。」p143、だから新しい段階としての大衆と大衆社会の実現の中でどういう政治の政策があるべきか、というのが松下の研究の狙いであった。それゆえに社会党、や自民党の人たちとも議論を重ねている。

4,藤田の市民のほうは、市民だけを見ているのではなく、支配者、統治者の側の権力の行使との両面で見ている。ある意味ダイナミズムの上に国民を見ているといってよいだろう。「制度から独立し、その独立した人間同士が相互の生存のために自由に交流し、やがて制度を創出しまた不断に作り直そうとする態度」それが国民もしくは市民なのである、と言っている。P194、これは60年安保の経験から政治的に成熟してきたとみた大衆を市民と見たということである。また松下と全く違うのは、彼はこの大衆を前にしてあるべき市民という、市民的エートスというものを考えている。だから自分が市民であればどういう市民であるべきかというのが彼のテーマである。だから、同じ状況の中では発言は似ているが志向しているところは全く二人は別だといってよいだろう。同じ政治学者としての研究論文の比較ではないのである。どちらも実践的ではあるが、その実践が違う方向にある。松下は国内政治はいかにあるべきか、藤田は抵抗する市民とは何か、というような問題意識の水平面があってこない。

5,また松下のほうは、さらに、丸山、大塚や戦後すぐ活躍した市民社会論の担い手であった人たちの言説に対して、封建制対近代化ではなく、近代化が2段階目に入っているという論を展開した。それは、大所高所の議論つまりマクロ論としてはいいのだが、ミクロ論として政治を少しでも良いほうへ導くための考え方として必要だということを言っている。また更に、当時の社会党に対しても綱領さえ正しければ政治がついてくる、という考え方、また共産党に対して同様の批判を展開しており、今なおそういう見解は正しいのではと思わせられる。

6,こういう議論が、ほかの当時の知識人といわれる人たちとの見解と合わせて、藤田、松下の考え方を丹念に追っている。特に60年安保が分水嶺であり、この時の知識人たちの高揚がその後の社会党浅沼事件などから後退していく。

読後

結局私にとって、松下圭一という人の考え方には非常に興味を持たされた、と言っていいだろう。現実的に見ようという精神態度である。当然ながら、藤田にも共感する。彼は途中で学者をやめて建設労働者となった、ということがウキペディアには出ている。そういうことも含めて内面重視の人であることがわかる。

また、この本を読むのは自分は何者だろうという意識である。市民なのか大衆なのかそれとも中間層なのか、国民なのか、住民なのか、かつ自分はそれでは政治的には何ができるのか?また自民党を支えている人たちはどういう層の人たちのなのか。最後のほうで自民党の組織化、近代化の話も出てくる。当然、自民党も努力している。私としてはこの政治的民衆としての我々は何ゆえに、菅さんを選んでいるのだろうという問題意識である。この本から得られる見解は今の自民党を理解するうえでも有用であるし、自分は何者になろうとしているのか、ということも考えさせられる。

この著者は、ほかでも言っているが、1945年から60年くらいの時期にかけての政治的言説を主として扱っているので古いといえば古いが、近いといえば近い時期のことでもある。そういう大して離れていない時代の問題を掘り下げることによって、今が明確に見えてくることもあるのではないだろうか。藤田と松下を取り上げてわかりやすく自説を展開した姿勢は非常

に好感の持てるものである。それも韓国人で女性とは大変なものである。

出稼ぎ問題は日本は終わったのか

比較思想、文化叢書、「出稼ぎの社会学」、山下雄三、国書刊行会、昭和53年発行(1978年)

この本は私の親しくしている友人のお父さんの著書で、この本を紹介され、教えていただいた。アマゾンで購入し読んでみた。この山下雄三という方は、教育大学(現在の筑波大学)の農業経済学専門の教授だったそうだ。また若くして亡くなった。

まず「出稼ぎ」という言葉が懐かしく響いた。しかし今はもう死語になっているのではないだろうか、などと思いながらこの本を手にする。この本の対象となる年代は昭和40年から50年くらいまでの間のことである。(私は昭和24年生まれだから16歳から26歳までの頃である。いわゆる60年代なのである。)この時期は高度成長が始まっており、日本の経済は急成長であった。

1,この本の内容の概略

1、出稼ぎとはどんなものか、家族の問題など。

2,出稼ぎを送り出す東北や鹿児島などの村とか共同体の側の発想、家族関係など。および自治体の組織、考え方。

3,大都市の工場や建築現場などの受け入れ側の考え方、組織など

4,人集めの方法など

5,この出稼ぎの問題、何が問題か

というような内容である。

最初は非常に情緒的な話から始まる。これは無着成恭「やまびこ学校」に通じるものがある。出稼ぎの家族の中の子供がお父さんが帰ってくると嬉しい、そしてどうしてそんなところに行かなくてはいけないかという疑問、しかしお父さんがこうして働くから自分たちは学校に行けるという自分との関係の認識というような内容の作文がたくさん紹介されている。冷静にみるとこういう作文は概して文章がうまい。小学生、中学生にしては非常に上手である。読ませるものがある。真実がコアとしてあるからか。

そういう話から著者が歩いて調査したと思われる各農村の役場での統計や市での統計、また送り出す側のいろいろな政策、施策、援助、共済会などの調査が事細かく述べられている。こういう現実に、今まさに起こっているテーマは統計データなるものが図書館に行けばあるというものではない。フィールドワークである。データの整合性、県や市や村での段階でのデータのとり方がそれぞれ考え方が違うために同じレベルの資料としては使えなかったであろうことが、表などに表れている数字でよくわかる。調査は基本的には青森、山形、秋田、新潟、鹿児島の出稼ぎの多い地方が中心である。多分そういうご苦労がたくさんあった研究である。

詳細な内容までここで紹介することはできないが、出稼ぎ労働者というのは種々の問題を抱えていた。特に現場事故の問題、不払い問題、健康問題、6か月ほど帰らない自宅の家族問題など、また農業収入の低さなどである。

2,今読むとどう読めるだろうか

1,この問題は日本では終了しているのだろうか、という問題

派遣労働者、派遣切り、テント村、路上生活などという問題は残っている。

2,この問題を世界に目を向けるとどうなるのだろうか

中国の民工問題、これは農民籍の労働者が深圳や上海など沿岸の大都市圏の労働者として働く、というのとそっくりではないだろうか。都市と農村の経済格差問題、経済発展の大きなギャップによる問題である。

ヨーロッパの移民、難民問題も似ているといえば似ている。この出稼ぎという以上に過酷なものもある。

国際的にみるとフィリッピンの女性がイスラム圏の医療従事者になっているとか。その他もろもろのグローバル化による働く場が自分の故郷から遠く離れている、そのことによる問題。

などと考えるとこの日本の出稼ぎ問題というのは大きな視野でみると世界的に拡散しているということが見えてくる。

〇つい最近、ミャンマーのクーデターによって技術研修生が日本に来れなくなったというニュースがNHKで報道されていた。受け入れる会社は北海道にあって建築関係の会社である。人手不足が常態となっているので期待していた。その人たちは道路建設に携わってもらおうと思っていたなどと社長は言っている。と。ここにも同様の問題がある。

3,日本の人手不足

現代の派遣問題などと比較して考えると、この時代は急成長の時代であって、人手がありとあらゆるところで不足していく時期だった。急成長に伴う工業生産増ととまたその工場の建設、また道路のなどの工業化に伴う環境整備などで特に単純労働者(未熟練労働者)は不足しがちであった。こう考えると戦後の長い間日本は資源はない、労働力もない国だったということだ。これが解消していったのは、ある意味中国とその周辺のアジアの新興国のおかげである。国外移転問題、空洞化問題である。1980年代の移転ラッシュを待たなければならない。

世界の出稼ぎ問題または類似の労働問題について

この山下雄三氏のこの分析の方法というのが非常に有効なのではないか。つまり労働者を出す国の事情、受け入れる国の事情、その間を取り持つ何らかの組織、その組織はうまくいっているのか、いないのか。本来的にはどうあるべきなのか。

4,読後

こうやって世界的レベルで考えるといろんな問題が浮かんでくる。その時の研究方法としてはこういう山下雄三氏のような研究方法が必要となってくるだろう。

もう一つ言えることは私たちが忘れていた農業の歴史である。特に東北地区の農村問題は根が深かった。戦前からそういう貧農問題を抱えているのである。また私に著者が直接語りかけてくるものは、これが現実だ、という重い問題である。何か我々はこういう貧しいという現実を忘れて生きている。目の前に差し出されて初めてこういう現実の中で我々の親父たちは生きてきた、ということがまざまざと目に浮かんでくるのである。

ガリレオ裁判の現代的意義

ガリレオ裁判、サンティリャーナ著、武谷三男監修、一瀬幸雄訳、岩波書店、昭和48年発行(1973年)625ページ、原著1955年シカゴ大学発行

この本はガリレオの異端宗教裁判の経緯を数々の資料から物語ったものである。

ガリレオという人がどんなことを発見しどんな発明をしたかはあまり言及されていない。だからここでは科学史的見方はほとんどないといってよい。

しかしながら、この時代というのは、天文学あるいは物理学の夜明けといってよい時代である。ニュートン(イギリス1642-1727)、ケプラー(ドイツ1571-1630)、コペルニクス(ポーランド1473-1543)、ガリレオ(イタリア1564-1642)この年代を見ると、ニュートンだけがガリレオが死んでから生まれた一世代後ということになる。

ここで問題にされていることはいったい何だろう。

この本を読んで私が思うことはここに書かれていることとは全く別の問題を感じる。

思想統制、警察国家、というようなことよりもむしろ、アジアではこの宇宙の問題がどのように扱われて来たのか、というテーマである。なぜこのように宇宙の問題がこの中世に重要だったのか?日本は江戸時代に天文方というのがあって暦を作るために天文学をを研究していた人たちがいたようである。それも中国からの輸入学問である。しかし宇宙の構造を問題にしたわけではなかった。地動説や天動説などということで当局に捕まるなどということはありえないことだった。なぜ空を見上げて宇宙の構造を気にする人たちと全く気にならない人たちがいたのかということに非常に関心がわくのである。

テーマ

とりあえずそのことは置いて、この本のテーマは、1616年にガリレオが天文対話とイタリヤ語で書いた事から端を発して、その16年後に異端宗教裁判所にて裁判をかけられる。そしてその裁判の経過と判決そしてその後ということで、この長い本の半分から後のほうが重要である。前半は法王や関係者の人柄などが多く説明されていて、核心の裁判関係は最後のほうである。

またその裁判へ至る道筋の中でガリレオの性格などが非常に事細かく描かれている。

要約

簡単にこの話の要約を言えば、ガリレオが地動説を天文対話で力説しているということがカトリックの異端審問宗教裁判所の当局(検邪聖省という)に睨まれる。その時法王はカトリックの信仰に従うことまた地動説を信じなければ本の発行を許可するというような事前の約束文書を取り交わしていた。それによって禁書扱いもされず、今まで通りの研究をしていくことになったが、ある日突然そのことが法王の心変わりなのか、16年たった後で厳しい裁判が行われることになった。この理由の一つに天文対話に出てくるシンプリチオという人物がいる。このシンプリチオというのは愚かな、という意味がギリシャ語にあるようで、これが法王を指すのでは時の法王にささやいた人物がいたようである。(これはこの本には具体的には書かれてはいないが通説のようである。この本では反ガリレオ派の人物が多数いたとされている。)この16年後というのはガリレオ70歳で老齢であった。(これは現代の肉体感覚とは相当に違う、と思っていいのではないか)

その裁判は結果として判決を下す。それは自説を今後とも信じないし、人に伝えたり教えたりしないという宣誓破棄、異端誓絶文への署名などである。これは本人にとっては当時最大の屈辱であっだ、ということだ。

この突然の16年後の異端裁判がどのように発生しそのような経過をたどって判決が言い渡されたか。この著者は、反ガリレオ派という集団、イエズス会、ドミニコ会などがあったようだが、こういう人たちが画策して、最初に許可した時の文書を偽造したというものである、という。この偽造文書によってガリレオが告訴され、裁判を受けることになった。

この話の結果として

結局、いろいろなカトリックの多少の迷妄さもあって、今後一切地動説およびそれに類する考え方を信奉することも他人に教えることも許されないというような結論となる。そのために前に述べた宣誓破棄、異端誓絶文などを書かせられる。しかし刑は重くなかったようだ。トスカナ大使の家に軟禁されていたようである。

しかし、70歳を過ぎたガリレオはその後もその種の研究を続け「新科学対話」をものにし、オランダから出版された。人にも教えていたようである。かなりこの学問に精進していったようだ。

だから逆に言えば異端審問の宗教裁判というのが何だったのか、という問題が残る。そういう事についてはドイツにはカトリックの宗教裁判所がなかった、ということだ。あったとしたら、ドイツのルターの宗教改革というものがあったかどうかわからないというのが著者の推測である。この時代はカトリックの支配のレベルは国によっては相当な違いがあったようだ。

結論的に

結構長いこの本に関して言えば、要するにカトリックは科学に関して無知蒙昧ではなかった。天文部なるセクションもあったようだ。そこではコペルニクスやガリレオやケプラーなども扱い研究してもいたようである。この時代は仮説であれば論じてもよいという考え方である。だからガリレオも地動説、天動説を仮説として扱うという方法をとった。しかしである。思想警察のようなものがあるところでは、支配者側からすればこの思想問題を裁判する場合結論はどうにでもなる、ということを明らかにしている。被告とされ弁護人もいない状態というのは非常に厳しいものがある。そういう意味では70という高齢になってからのガリレオの裁判というものはある意味不当ともいわれうるものである。支配者の意のままになる。脅しや見せしめというものもある。またガリレオはカトリックの信仰を全く捨てたことはなく法王に関しても服従の意を表明し終始変わらぬ生き方だったようだ。

その後天文対話もラテン語に訳されて世界中に広まって行った。

付録、ガリレオ問題とは何なのか、どういう問題として今なお問題とされるのか

(表現の自由、思想警察、転向、香港、ミャンマー問題にも通じる。)

しかしこの問題は宗教と科学の対立というような問題ではない。ある部分において独裁者の問題であろう。自由に討論でき、発表する環境がなく、許される思想の決定をある人たちに任せるあるいは一人がそれを牛耳るというような事が問題である。戦前は特高というのがあった。今では表現の自由問題と重なるだろう。NHKの番組についての偏っているとかという総務省なり監督大臣の発言という直近の例もある。また新聞の偏向報道の問題もある。そういう事例は政治的にはあっちこっちで起こっている現代的な問題である。また、ガリレオは、日本で言えば転向者のような批判を受ける立場に立ったわけである。その場限りだったかもしれないが転向したのである。地動説を捨てるとまで言ったのであるから。しかし、どうなのか?転向論ではこういう事例は扱っていない。日本のキリシタンの問題も扱っていないので、ある意味転向論という問題はもっと広い意味で再解釈されなければならないかもしれない。さらに、しかしということができる。ガリレオは確かに時の政府に合わせた発言をして釈放されたのであるが、かれの裁判戦略ということから言えば彼は歴史的に勝ったのである。ガリレオは墓の中からほくそ笑んでいるかもしれない。

(この後のことはウイキペディアにカトリック側がいつ謝罪したかなどがでているので参照してみてください。また、ベルトルト・ブレヒトの「ガリレイの生涯」岩波文庫も参照ください。)