共同幻想論を今読む

吉本隆明、共同幻想論、吉本隆明全著作集11、勁草書房、1972年(初出1966年雑誌文芸、単行本としては1967年河出書房新社発行)

この本をなぜ読むか

知り合いからぜひこの本を読んでくれという依頼もある。また学生時代超人気のあった人の代表作でもある。然し私は、この本を読んでいない。というか学生時代か卒業してからか買った本であることは間違いがないが、少し手にして、興味なく読み捨てられていた、というところである。多少最初の方に棒線がひかれているようなところもあり、少し読んだ形跡はある。

この本の意義

①共同幻想というのは、どこかで、彼が書いているが、国家がなぜ成立しているのかという秘密を探るための必須の概念である。また日本の国家を対象としている。マルクス主義の吉本隆明からすれば、マルクス主義に異を唱えているような論文である。つまり経済という下部構造が意識を決定する、という教条マルクス主義の理解からすれば、上部構造である文化の解明に幻想という概念を使って国家成立の構造の秘密を探ろうというのは正統派ではないだろう。むしろ異端であり、反教条主義である。

②また、現在この本を読む意味は本当にあるか。つまりマルクス主義がソ連崩壊とともにその神話が崩れてしまった現在、つまり冷戦が終結した状況では、教条マルクス主義の問題はもろくも、また当然であるが消えてしまったため、教条マルクス主義に異を唱えることも終結したのである。逆にいえばマルクス研究は今や自由度を増しているので、反教条マルクス主義などというのは、相手がいない状態となっている。だから、吉本隆明は先見の明があったと言える。これは間違いのないところだろう。1970年代にこういうことを言える人物はあまりいないのであるから。

③当時の学生運動の人たちには非常に人気があったことは間違いがない。左翼シンパ的な人たちにも人気があった。なぜか、これは大学での授業に心底嫌になった人たちにはある意味救済する力があったのではないか。大学の学問が最初授業を受けるとその学問の意味の説明なく非常に狭い専門分野にこだわった授業が行われる。数学とか語学とかはいいのであるが、その他の学問と称する授業ははっきり言って何のために勉強するの?という疑問がわきおこる。今もなおそうであるが、先生たちは自分の専門分野にこだわりその狭い世界で語りだす。それが学生たちを学問への興味を失わせていくのである。1970年代の学生運動が消えていく頃、専門馬鹿という言葉から学際という言葉が使われ始めた。学際が必要だと。多少その専門性の問題が反省されたのではないか。然し学際問題も成功していることもないだろう。そのうちこの学際的という用語はなくなってきている。当時の、大げさに言えば若い青年は人生の意義、社会でどのように意義ある生活ができるかを知りに来ているのである。意義ある人間はどのように社会を理解しどのような行動をとる必要があるのか、という疑問である。それがゆえに学問をしようとしているのである。この問題に答えられないために学生運動は全国に広がった。当時の時代的風潮もあった。東大では無給医の問題、院生の無償労働など、ウェーバーのロシア革命論を訳した林道義は、この問題をあとがきに書いている。学生運動も起こりうる、と。

この本の内容

この本はそういう意味では、まさに自分の置かれている状況をよく分析して知り、自分の行動を主体的に起こすべきであるという観点によって書かかれてと言えると思う。世間の言っている嘘を見破り、本来の認識はどこにあるべきか、どういう欺瞞が世界の認識の中にはあるのか、という強い主張のある論文だ。

①二つの軸があって、柳田国男と古事記である。この、特に柳田国男の遠野物語をフロイトの社会心理学的理解によって分析しているといってよいだろう。この柳田という人と吉本は相性がいいと思う。多分吉本は彼の民俗学から多大な影響を受けていると思われる。書いてはいないが。フロイトの影響の方が大きいという事は自他ともに認めているようだ。

民俗学は地方に伝わる民話や行事からその行われている意味を解明する学問である。なぜ巫女がいるのか、なぜ巫女はそのような宗教行事を行うのか、特に古い民話や古い行事ほど価値を持っているようにも思える。であるからこの学問というのは天皇の行事は一番興味の対象となってきたのである。

②共同幻想という言葉は意外に魅力ある言葉であって、本来的には共同の意識といってよいはずである。国家形成の原初における共同の意識とは何か、というテーマである。中味はある意味の不合理な世界、つまり民俗学的な世界を対象化してみると、共同の意識の発生という事から国家成立の秘密がわかるのではないか、という事である。本来的にはこれがわかってくると当時の日本で何が必要なのか、革命なのか改革なのか、何を良くしなければならないのかという事が見えてくるという事だ。経済革命なのか文化革命なのか?そういう戦略というものは描けるのか?相当な実践を意識して書かれている。当時の学生、青年たちにとって幻想という言葉は魅力があった(特に田舎、地方から都会へ来た学生には)。せっかく入った大学も幻想かもしれないと考え直した人も多かったであろう。高度経済成長期、公害が蔓延して何かおかしいと感じざるを得なかったのである。大学の学問も教条主義のマルクス主義も就職先である大企業も問題あるのに隠されているものがある。よい経済成長は良い人生に直結するのだというのも幻想ではないか。自分はその幻想に振り回されているのではないか、という疑念を刺激したといってよいだろう。(「自己否定」という学生運動の立て看板があったのも彼の影響かもしれない。)

結論的に

そういうわけで当時の学生には相当の人気があったしある意味カリスマであった。強い戦闘意欲のある論陣を張ることができる稀有の人であった。自分の立っている場所、自分が何をしようとしているかを明確にしながら、自分の主体性を出して行くような論文の書き方は学校の先生ではない。思想家である。

しかしここで私の疑問を出してみると、この論文はM・ウェーバーの言うところの支配、被支配、伝統的、形式的、合理的支配それにエートス論、そして魔術の園論などの見方を加えればさらに面白くなったのにと思えるのである。彼は、M・ウェーバーを知らなかったかもしれない。ある意味残念である。思想というのは研究とは違う。研究から総合的な立論をする必要がある。自分の概念を作り上げていく必要がある。だから彼の論文は思想を構築しようとした大きな試みだった。

ナチス人種主義の淵源は

ナチ神話、フィリップ・ラクー・ラバルト、ジャン・ルック・ナンシー、守中高明訳

松籟社発行、2002年

この本は、90ページ程度の非常に薄い本である。ストラスブール大学の哲学の教授二人が共著として出したものである。またストラスブール大学というのはアルザスロレーヌ地方にある有名な大学であるがこの地域というのはドイツになったりフランスになったりドイツになったりと国名がしょっちゅう変わったところであり現在はフランス国に所属している。この地域の方はドイツ語もフランス語も堪能な方が多くて大体がバイリンガルだと聞いている。ライン川沿いの地域である。ついでに言えばマルクスのいたトリーアも大体そういう地域であった。

ナチ神話

この本は90ページ程度の薄い本であるが言っていることは結構むつかしくややこしい。簡単ではなく複雑であり、何度も繰り返し読まないとわからない個所が多い。訳がむつかしくしている面もある。

この本のテーマは、ナチズムの本源的な思想を解明しようとした素描と言えるだろう。つまりナチズムというものが反ユダヤ主義という極端な人種主義と何故不可分であったのか、どうしてそこまでたどり着いてしまったのかというところに焦点が合わせられている。かつそれは、単なる外在的批判の対象としてではなく、我々もまた陥るところのある種の力、誘因力があると考察している。

アーリア人種

この本を読むとわかることがある。アーリア人というのはギリシャ人であるという。古代ギリシャ人だ。ナチズムの目指した思想というのが、基本的にドイツ民族のアイデンティティの探求である。このアイデンティティの源泉はというのは古代ギリシャだった。つまり神話を芸術化する文明発祥の地である世界だ。ドイツはご存じのように神聖ローマ帝国というものがあり、プロイセン主導のもと、これが解体して第一次大戦前までに統一ドイツ国として成立した。しかし、このドイツはいつもコンプレックスを抱えていたのである。というよりコンプレックスを抱えさせられた。第一次大戦の各国の補償要求にこたえる大借金国となっていったのである。つまり、ドイツ破産寸前だったところにこのコンプレックスを打ち破る思想が出てきたのである。これがヒットラーの「我が闘争」である。そしてその考えの背景を描き出したのが「20世紀の神話」ローゼンベルグである。

ドイツは己の文化がオリジナリティのない文化であることに長い間苦しんできている。それはアイデンティティがないからである。ドイツのアイデンティティが本来的にはギリシャであるがそれがフランス経由、またイタリア経由の2番煎じとしてやってくる。

ナチ(ナチス)という呼称

これは調べるとわかるが、ナチスというのは国家社会主義(国民社会主義)ともいう。このドイツ語からナチオナールゾチアリスムスという名前の略称である。またこの国家社会主義というのは、日本でも非常にはやった考え方であり、当時の右翼はかなりこの考え方を取り入れていた。また安倍晋三の叔父の昭和の妖怪といわれた岸信介もこれを勉強している。ナチスとソビエトの国家社会主義は日本に取り入れるべきと考えていたようである。

この書では作者はどの点を重視しているのか

ヨーロッパ的であった

このナチスの出現は必ずヨーロッパの帰着点としてあるという事ではない。しかしナチスの思想は自己の国のアイデンティティの探求であるとすれば各国もそういう思想に揺り動かされることになる可能性があるという事だ。日本は吉本隆明の共同幻想論ではないが、日本は独自のアイデンティティがあったので、ヒットラーのように新しくアイデンティティを作り上げる必要がなかった。恐るべきことに日本は最初から存在したのである。

この本の図式通りに筋道を書くとこうなる。

ナチスはドイツというアイデンティティの追求、ギリシャ文化の中のディオニソッス的な神話芸術に親近感を持っている。もう一つは健全なギリシャ神話、オリンポスの世界。このギリシャの文化に2大潮流があることを作者は指摘しており、その中のギリシャ的には不健康な、どす黒い、ある意味不健康な神話の方にナチスは偏っていった。こういう神話をプラトンは否定した。しかしワーグナー、ニーチェ、ハイデッガーその種の神話に乗ったも同様だった。

神話の力

神話の力というものはそれが持っている模範性、この模範性というのは神話は自分たちの生きた例であるという事だ。神話を模倣することによって、自らのアイデンティティを獲得できる。またその神話はそのアイデンティティのための装置である。ドイツの遅れた歴史の回復のためにこのアイデンティティがどうしても必要だった。しかしこのアイデンティティを確定する力がドイツにはなかった。偉大なる芸術に到達しえないというアイデンティティの不在。ギリシャの模倣という事でしかアイデンティティが確定できない。然しそれはドイツのアイデンティティではないというような矛盾をはらんでいる、という2重の命題の中で苦しんだ。

そして神話とは、一個人、あるいは一民族の根本的な力と方向性と力を結集する潜勢力である。デカルトからマルクスまでの近代的知は血肉を欠いた血の失せたアイデンティティである。それは夢見ることのできないものであり、ドイツは夢を見ることを実践する。

神話の真実

夢見ることは自ら夢に加担することである。

夢の何かを血肉化することである。そのことが魂を自由にする。また人種というのはその神話の原理を体現する場である。

特権としてのドイツ人

人種は血に由来する。言語ではなくて。自然の意志のモチーフ。

アーリア人;太陽神話の明るさ。また文明の創造者、生を芸術として理解する、中世の神学者、神秘思想家、エックハルトの理想、神より偉大な人間という理解。こういう認識によってドイツ民族は世界に勝る民族の血を引いているという神話を確立していこうとしたのである。だからこそ雑種的なユダヤ人は排除する必要がある。ドイツアイデンティティの邪魔である。

簡単に要約するとすれば、ドイツのアイデンティティの追求の中でドイツの当時の置かれた状況からこのような世界観が出てきたのである。特にその神話の意義とその活用に執着したのである。ある意味神話の窃盗である、と言われている。恐るべきは神話の持っている力、潜勢力である。

チョットまとめきれないくらい論旨が複雑に入り組んでいるが大体このような内容である。要するに神話的な力を最大限利用活用したことによってこうした人種主義的なユダヤ人虐殺までに導かれていったという事である。このことは終わったことではない、と作者は言う。

ドイツ敗北の年のハイデッガー

貧しさ、マルティン・ハイデッガー、フィリップ・ラクー・ラバルト、西山達也訳、解題、藤原書店

時代

この本は、ハイデッガーがドイツの敗北がはっきりした時の1945年6月にある城館で講演した時の、ヘルダーリンの言葉、「精神たちのコミュニズム」、という言葉をめぐって考察されている。

ある意味こういう本は専門家のものだろう。ハイデッガーのある特殊な用語から彼の全体の問題をえぐりだそうとするものなのか、ははっきりしない。しかしこのラクー・ラバルトという学者(ストラスブール大学、哲学)はハイデッガーのナチへの協力問題をかれの哲学の中に内在しているというようにとらえているようだ。

ナチへの協力

ハイデッガーのナチへの協力というのは、ハイデッガーがフライブルグ大学の総長だった時に約8か月間ナチへの親密な協力関係を明らかにした。しかし、その後幻滅したのかしなかったのかははっきりしないが、ナチへの協力関係は止めて、総長も辞任した。この問題に関して非常に多くの問題が戦後かまびすしく言われて来たらしい。ハイデッガーを語るときにはこの問題を避けては通れない状況となった。しかしこのラクー・ラバルトのように本格的に彼の哲学の中にナチ的体質が内在的に組み込まれているという批判は極めてあたらしいもののようだ。多くの著名哲学者がこの問題に関しては激論を交わしているようなので面白いと言えば面白いし、ハイデッガーに関心のない人には専門家のこざかしい論争のようにしか見えないだろう。(こういうテーマはカラヤンについても言われてきた。丸山真男は彼の音楽性にそのことが出ているというようなことを書いている。)

この本を理解するためには、本来的には「政治という虚構―ハイデッガー、芸術そして政治」(藤原書店、1992)を読んでおくべきだった。しかし「貧しさ」を読んで知ったことなので、さかのぼっていくしかない。ラクー・ラバルトのような学者は一般人にはあまり知られていないので専門家、批評家には種本になりうる玄人好みのする学者だろう。

内容

1、貧しさ           (ハイデッガー)

2、精神たちのコミュニズム   (ヘルダーリン)

3、貧しさを読む        (ラクー・ラバルト)

4、ドイツ精神史におけるマルクス(ラクー・ラバルト)

解題「貧しさ」-ある詩的断片の伝承をめぐって 西山達也

(1,2でハイデッガー、とヘルダーリンの短い講演の内容と文章を掲げてある。これはハイデッガーがヘルダーリンのある文章を引用しているためでその当の文章が載っている個所を2に掲げてある。これに関して3でこのハイデッガーがヘルダーリンを引用しつつ語ったことへの批判が展開される。4、の「マルクス」はヘルダーリンの「精神のコミュニズム」という言葉に関して語られる。最後の解題はまさにこれなくしてはこの本が何の本かわからないようなものであることを示している。)

ラクー・ラバルトの論旨

この本で語られている内容というのは、ハイデッガーが基本的に持っている思考、哲学それ自身に、ナチズム的ファシズム的なものが内在しているという事である。

その一説を引用すると

「貧しさ」の彼の講演に関してのラクー・ラバルトの批判はこういう個所に出ている。

ここでいう災厄の瞬間とはドイツ敗北の時という事であり、彼自身もナチ協力者として今後どのような立ち場におかれるか不明であり不安な時期のことをさしている。

「ハイデッガーが、災厄の深淵の縁においてさえ、あるいは災厄の完遂のうちにおいてさえ、ドイツに対して『精神革命』を。つまり形而上学とその『技術』としての世界支配を超え出る跳躍を要請したという事である。1933年の時点で、彼が妥協なしに、力づくで国民社会主義へと加担した時に信じていたものも、このような革命、このような跳躍だったのである。一年もしないうちに失望し、あるいは自らの『過誤』を真に確信したのではないにせよ、裏切られたと判断した時、ハイデッガーは同じ目論見をもって、あるいは同じ希望をもって、ヘルダーリンを「英雄」として選択した。このドイツ「民族」のいまだ理解されず、誤解された、秘せられた英雄が、いずれにせよ、ドイツの歴史的「負託」を担う高見にあることを、ハイデッガーは期待したのである。そして1945年、まさにこの日付において、なおもハイデッガーは同じ期待を繰り返し表明しているのだ-そのことを理解するすべを知る聴衆に語り掛けることによって。以来、ハイデッガーは倦むことなく反復し続けた。」p71

これは「ナチ神話」(前回ブログにて扱った。)に書かれているように、ナチのローゼンベルグと同様にドイツ的神話を夢見ていたという事である。

次の文章もハイデッガーがドイツ的精神、ドイツの国民的精神をかれは強調している。

「ハイデッガーが1934年にヘルダーリンを預言者として選んだという事実から出発しなければならない。この預言者の使命とは、ドイツ人の歴史-命運的現存在に課された使命であり-しかも『我々はだれであるか』という執拗な問いが帰結する-つまりハイデッガーが、以後、詩人によって告知された真理を述べるという責務を負った思索者として自らを引き受けた、原-政治的な使命であった。これが、実際に、国民精神主義なのである。」p82、特に彼の強調する国民・精神これこそナチと共通する言語であった。

結論として、ラクー・ラバルトの論旨は入り組んでいてなかなか素直にわかったとは言えないような曲がりくねった論理であるが、そのアプローチはハイデッガーのあれやこれやの膨大な文章の意図するところ、当時の語彙の使われ方まで調べていてハイデッガーの内在的批判としては徹底しているのではないだろうか。こういう事はニーチェに対してもいえることになるだろう。

追補

4の「マルクス」の関連で言えば、マルクスはルター主義、ヒットラーはカトリックのイエズス会。

本の場所はどこかであるか忘れたが、最後のマルクスのところに出てくるが、要するにルターの万人祭司制(この本では番人司祭制と書かれている)という考え方にマルクスは非常な関心を長い間持っており、万人が祭司となるという分け隔てのない人間の世界、教皇主義の位階制からの解放という考え方に強い関心を持っていたという事を書いている。プロレタリアート独裁や社会主義国家などは想像もしていいなかったという事のようだ。だから宗教問題の現代性が重要である、という事も書かれている。この点に関しては非常に重要な考え方なのであって、別途ラクー・ラバルトの論理の中ではっきりと示すことができればと願っている。

もう一つ追補:ハイデッガーの文章は戦後書き直されたり修正されたりしているようだし、その原テキストはハイデッガーの文書の所有権のある人しか見られない、らしい、という事が書かれている。驚くべき事であり恐ろしい事でもある。

記憶の中のヴェトナム戦争

ヴェトナム戦争全史、小倉貞男、岩波書店、1992年 330ページ

この本はすでに古いものか、今でも通用しているものかはわからないが、ともかくもヴェトナム戦争というものがどういうものであったか知りたい、記憶にあるヴェトナム戦争と同じなのか違うのか?私の小学生の時代から青年時代にかけての長い間戦争というものはこのヴェトナム戦争であった。「地獄の黙示録」という映画も見た。サイゴン陥落の時のテレビの映像も見ている。そういう印象とヴェトナム戦争は違うのか、という問題意識がずっとあったが、全体像を知るという事は仕事にかまけて、怠慢なのだろうが、してこなかった。小田実のべ兵連というのもあった。少しは共感したかもしれない。しかしそのころ、学生運動もあって、そういう学生運動からすれば生ぬるいような印象も受けていた。しかし今ではそうは思っていないのであるが。またアメリカの文化的現象というものはこのヴェトナム戦争によって大きく変わっていった。

そういうわけで、とりあえず、この「ヴェトナム戦争全史」を読むことにした。

年代と関係者

年代的には1950年から南北統一の1975年までの25年間がヴェトナム戦争だった。なお私が会社に就職したのはこの1975年だった。この後は政治への関心よりも仕事中心となっていった。アメリカではアイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン、ニクソン、4代の大統領がかかわった。政府要人としてはマクナマラ国務長官、キッシンジャー特別補佐官などといったところだ。南ヴェトナムのゴジンジェム、北のホー・チ・ミンなど。ホーは彼は1969年に死去している。その後はレ・ズアンが指導者でヴェトナム戦争を戦ってきた。

ヴェトナム戦争への関心

この本を読んでみると、ヴェトナム戦争がどのように始まったのか、アメリカの介入はなぜか、ホー・チ・ミンを中心とした北ベトナムはどのような国家でヴェトナム戦争でどのような役割を果たしたのか、なぜアメリカに勝ったのか。こういう問題意識が浮かんでは消え浮かんでは消えるが、いろんな事件が起こって行くので単純な問題意識がフェイドアウトしていってしまう。しかしこの点がわからなければこの本を読んだことにはならないだろう。しかし何故アメリカは負けたのかという事も簡単ではない。研究がいるだろう。

私の想定していたヴェトナム戦争とこの本との違いの要点

1、ホー・チ・ミンが最後までいたわけではないこと。1969年に死去、代わってレ・ズアンが指導。逆にいえば偉大なるホー・チ・ミンが死去しても同じ思想を堅持していけたという事が、彼らの力でもあった。

2、ケネディはヴェトナムに深入りするのを避ける言動をしていた。民族自決の思想の持ち主だったようだ。突然の暗殺によってジョンソン副大統領に引き継がれて、方針変更され拡大し、泥沼化していった。

3、ラオス、カンボジア、中国、ソビエトなどとの関係がこのヴェトナム戦争をややこしくしている。これについては私の方は無知だった。またニクソンの中国電撃交渉もこの戦争を危うくしてきた。

4、日本軍の侵攻と撤退、またフランス支配の復活と撤退。このあたりも知らないこと多い。

5、アメリカおよび世界の反戦思想、反戦デモの高まりがこの戦争への影響を与え続けてきた。情報戦争の時代に入った。

6、南ヴェトナムでの民衆、農民の広範な協力体制があった。

7、もう一つ言えば思想が勝った面があった。ホー・チ・ミンの思想がアメリカに勝った。

この本を読んで一番気になるところ、

ドミノ理論というものである。またアメリカのアジアという地域へのどういう認識があったのかという問題。アメリカは日本、朝鮮戦争と立て続けにアジアで戦争を展開した。対日本は核の使用で成功、その後は核は使えなくなったことによって朝鮮戦争では失敗した。朝鮮戦争による冷戦構造の明らかな発生、それが連続的にヴェトナムまで続いている。むしろ、ヴェトナムの方が朝鮮戦争より早く米国とは関係があった。中国、北朝鮮、ヴェトナムの共産化という問題をどのように捉えていたのか。

ミノ理論は冷戦そのものの考え方である。共産主義国家がヴェトナムで起こればアジア全域がドミノ倒しのようになり共産主義国家が次から次へと成立する、という考え方。恐怖理論である。アメリカは侵害されていないのである。関係ないと言えば関係ないのである。今結果がわかって考えると、結局共産主義がアジア全域を襲ったわけでもないのである。そんなことはせいぜい中国と北朝鮮、ヴェトナムくらいなのである。その間にソビエトは解体した。その中国もヴェトナムも市場開放政策である。資本主義化である。彼らは世界に孤立することを避けている。この理論に結果責任を持った人がいるのだろうか。ウィキペディアによるとアイゼンハワー大統領と、ダレス国務長官により主張された考え方で当時の外交政策にかかわる人たちの間では支配的だったという。しかしペンタゴン・ペーパーズによれば統合参謀本部とロストーとテイラーだけであった、とあるらしい。これはある意味プロパガンダ、またはキャンペーン用語だったのか?これについてはこの本は分析していない。

ここで終了するのは、中途半端ではあるが、一応いったん終了して違うベトナム問題について書かれた本を読んだときにまたこの続きを書きたいと思う。この本だけでは分からないことも多く、疑問が深くなった。

高橋和巳は一体何だったのか

高橋和巳「わが心は石にあらず」新潮文庫、昭和46年発行(1971年)

初出昭和39年から41年まで雑誌「自由」に掲載されたもの。

この本をなぜ読むのか

この本も吉本隆明と同様、我々の学生時代に超人気作家であった。会話の中にも高橋和巳がどういう事を言っていたとか、という話題になることもしばしばであった。あるいは彼の小説を読んだとか。そういうことがあって私も彼の小説を買ったのはいいがほとんど読んでいない。

積どくのも必要といわれているのでそれでもいいのかもしれないが、今振り返るとこんな当時のいかにも新左翼派の人気作家の何一つ読んでいないのは,自分の若い時代に起こったことを誰かと共感する手段もないような、ある意味自分自身残念な気持ちにさせられるのである。例えば長嶋の引退のあいさつとか、王のホームラン記録の更新とか、同時代の共感できる出来事が何もないという事に等しいような気にさせられる。そういう意味で今後もこの種の人たちの本を取り上げることになるかもしれない。ある意味では自分の若いころのこういう作家に決着というか自分なりの結論を下しておきたい気がする。

この小説の流れ

この小説は主人公がある地方の大手企業の支援により有名大学に行き卒業後はその地方の役に立つような仕事をすればその奨学金は返す必要がない、という事から地方のその企業に戻ってきたのである。そこでは彼はある意味エリートである。小説では知識人と書かれているが。そのエリートが組合活動を行い、指導者になる。時期的にいえば昭和40年前後だろう。主人公の年齢はたぶん46,7歳くらいで子供二人奥さんが多少病気、実の妹も同居している。非常な不景気が起こり、労働者の配置転換や一定期間の休職、指名解雇、などの会社側の施策と非常に対立することになる。

その間ある意味、その組合の指導者、同士でもある女性と関係を持つようになる。最後はその女性は妊娠までしておなかが大きくなっていくところで終わる。結局最後には会社側と決裂してストライキを行うことになるが、それが第二組合などできて散々な結果となる。敗北である。

話のプロットは組合活動の流れ、ともう一つは同士である女性との関係が続いていく。この二つである。しかし本当はかれは組合活動のことを書きたかったのか、その女性のことを書きたかったのかは判然としない。人間がインテリでかつエリートで人生の中で、何かと戦う、その戦うという仕組みを追求するという事は仕事のようなものであるが、その仕事は本当は意味があったのか、ここでは組合の闘争である。その組合闘争は重要な意味を社会的にも人間的にも自分のためにも持ったのか、持っているのかという問いかけのようなものを感じる。

ただ一つの疑問は同士のような存在であったその女性との関係はどうなっていくのか、どういう事を作者はこの女性という存在に意味を見出しているのか、はよくわからないままに終わるのである。あるところで家族にこのことがはっきりとばれたら大変な責任を負うことになり家庭の崩壊まで行くようになるかもしれないと不安になる、しかし結局はっきりとはそのことは分からずじまいとなったので社会的に葬られることはなく、安心できたという事なのか。そうであれば多少この小説は問題を残したという事になるだろう。

全体の印象

組合活動というものに対して非常に詳しい。その組合活動の理論のようなものも作中の人物に語らせたりしておりよく知っているなという印象である。しかし中味がそういう事で明るいものがあるわけでなく全体のトーンは暗い。それに理論が小説の中でも語られるので小難しいし面倒で読んでいて苦しくなる。更によくある活動家と女性の関係である。これもなにかこの小説を暗くしている印象がある。最後まで解決しないのである。

何故高橋和巳なのか

語り口は生真面目、文体で言えば戦前の「生活の探求」の島木健作風である。堅い、暗い、生真面目、理屈っぽい、常に内省しながらの行動が描かれる。こういう生き方がこの時代にはあったのか。もう高度成長が始まったころではないか。日本の資本主義が、特に重化学工業が勃興していたころではなかったのか。しかし学生には不安があった。マルクスを学んだ学生が多い時代に、これからはいる企業はもっとも悪の権化ではないのかというような。資本主義の悪と不正のど真ん中に立たせられるのではないかというような不安があったのではないか。さらに自分は資本主義に管理されるのではないか、という不安。そこにうまく共感できるような内容である。結局最後には資本の力には勝てないというような厭戦ムードとさらに闘わなくても最後はいいのではないかというあきらめか?解放?への示唆なのではないかという部分もある。スターリン主義や日本共産党から距離を置いた左翼思想である。そういう意味では新左翼の小説といえるかも。

補)作者は39歳で亡くなっている。だから非常に若い頃(34、5歳くらいのはず)の作品だ。そういう意味での生硬さがある。またわたしの方はこの歳になって(71歳)読むと主人公は若干異常な性癖の人のように感じる。同居の妹にも危うい関係でありまともな人生を送れるようなタイプではなさそうだ。全共闘世代にうけたと言われる所以は本当はどこにあるのか?

野間宏を今どう読む

野間宏「暗い絵」新潮文庫、1955年

この本は、雑誌「黄蜂」(丸山真男、内田義彦らの青年文化会議が編集する総合雑誌)1946から47年にかけて発表されたもので平野謙、宮本百合子から絶賛されたそうだ。戦後すぐ書かれたものであり、野間のある意味自伝的要素のある小説という事のようだ。

今この本を読むとどういう感じを抱くか。

この本の時代背景は日中戦争が始まる直前くらいの時期である。暗い時代の1937年、38年ころの京都帝国大学の学生のある左翼の青年たちの会話や感情や思想などを下宿生活を通して描かれたものである。私自身は下宿はしたことはないが、下宿している友達もたくさんいて学生時代にはその下宿先には何度も行った記憶がある。そういうものとしてみると懐かしい記憶がよみがえる。しかし、時代は違って多くの知識人、あるいは知識人に類する人たちはほとんどが左翼になり戦後すぐに日本共産党に入党した人も少なくない、そういう時代のことである。読売新聞社の渡辺恒夫主筆などはその典型である。戦前の東大や京大などには経済学部などは陳舜臣や邱永漢に寄るまでもなくまともな学生は左翼に走った。野間の場合も同様であった。

ウイキペディアや作家の戦争体験の記事などを読むと野間の場合は、戦争中に左翼だと言われて日本に帰され、獄中で半年ほど過ごすという事があったようだ。

内容

下宿先で友人からブリューゲルの絵画集を借りる。そのブリューゲルの絵画についての主人公の感想から始まる。独白である。これが暗い絵という題名と重なる。ブリューゲルの絵は確かに異様な絵である。(どなたかが書いているが、ブリューゲルの一つの絵について書いたものではなくて絵画集のいろいろな絵を見て感じたことを書いたようだ。)なんと奇怪な狂気じみた絵画であり、これがその当時の絵としてどういう評価であったのかは私としては分からない。どちらかといえばゲルニカのようなピカソの絵といえば雰囲気は伝わるだろうか。然したぶんこの絵は人間と世界を批判し風刺した絵ではないかと思われる。そういうある意味暗い絵である。(ブリューゲルの絵は奇怪な絵ばかりではない。白の使い方がうまくて明るく開放感のある静かな絵もかく。)そこに青年の主人公はひかれるのである。

これがある意味総てのような小説である。そこから先は、当時の左翼青年の会話である。急進的な人や日和見的な人など多種多様にいて、その種の会話が起こる。はっきり言って今ではそ

の言っていることがわからないだろうと思われる。その中で彼の友達はほとんどが左翼であるという事で検挙され獄中で亡くなったという。(ある意味野間の実体験でもあった。)

そういう会話を夜遅くまでしてから友達と一緒に冬の寒い京都の通りを肩寄せながら帰る会話はいかにも若い青年の会話のようで自分にもあったなという新鮮かつ苦い思い出にある風景である。然しその肩を寄せ合って帰った友も獄死したのである。そういう悲劇を背景として会話が進行していく。

結論的に

この小説が絶賛されるかどうかは分からないが、戦後のある雰囲気は伝えているだろう。一つはマルクス主義に生きて死んだ人たちの生き方、これは意味があったのか?なかったのか?小林多喜二のような人生はどうだったのかと問われているような気がする。ある意味戦後になって何でも言える時代にこの小説が書かれたとすれば、そのマルクス主義的革命の理論なるものに心中していいのかという疑問がここにあふれているのではないか、と思える。日本の軍国主義に生きそして死んだ人たち、共産主義とともに生き、死んだ人たちどちらも本当の自分を持っていなかったのではないかという疑問である。自分というもの、自分という尊厳ある独立の何にも隷従しない人間として生きる、生きたいそういう叫びがある。そういう言うところに野間の文学的価値はあるのかもしれない。

文章はながれるような文章ではなく彫刻のようにごつごつした感じがする。文章がうまいわけでもない。しかし、そのいかにも若くて力が有り余って言いたいことが多くて口が詰まってしまうような文章が人を惹きつける。

大岡昇平の少年時代、青山、渋谷

大岡昇平「少年」講談社文芸文庫、1991年(初出1973から1975年、文芸展望連載)

この本は、この4年前に「幼年」というのを書いている。その続編であろうが、著者はこの「少年」が本編と思ってくれという。(後書きにある。)

大岡昇平1909年明治42年生まれ、1988年昭和63年没、だから64歳くらいの時の作品という事になる。

内容的には、小学校から中学校の時代、年齢的には10歳あたりから16,7歳くらいか。この時代の自分の住まい、渋谷と青山の近辺にあったようであるが、そのまだちょっとした田舎であった渋谷、青山という半都会の中の少年を自伝的に描いたものである。

なぜこの本を取り上げるのか

最初は「野火」などを取り上げる必要もある。しかしこの作家は僕の良く知っているほかの作家や詩人や広い交友関係がありそこが彼の自伝的なものを面白くさせている。例えば戦争直後に日本に帰ってきてすぐ鎌倉の小林秀雄宅にいき、彼と議論する。その時は自分は勝ったと思ったというようなことを書いている。戦争を知らない小林と俺では違うんだというようなことを書いている。(徳間文庫「わが復員わが戦後」)そういう事から彼の自伝には非常に興味を持った。(若いころからの小林秀雄、中原中也、富永太郎、島木健作などの広い交友関係)

親は株でもうけたために、この金持ちが住んでいる渋谷の一等地に住むことになったという事から、この地区の事情を事細かに書いている。今では彼の書いた中では公園などは残っているようだが、水道をひいていた川とかは地図上ではもうわからないくらいである。

彼のキリスト教信仰について

彼は青山学院中等部に入りそこで信仰に目覚めるとある。聖書を読み、祈ったらしい。所が夏目漱石を読んだあたりから、1年位で信仰から遠ざかる。信仰を捨てたと言っているが、捨てるほどの決断が本当にあったのかどうかは疑わしいと考えざるを得ない。ある意味覚悟の上での棄教だったとは思われない。しかしいずれにせよ信仰から離れた。著者は自分のこの時期における非常に重要なこととしてキリスト教信仰を上げているのでそこが一つのこの本の重要なモチーフであろうと思われる。当然青山学院という事から礼拝もあり説教も聞いていたのでそういう影響は多分にあったのだろう。しかし、そこでの悩みや煩悶が大きかったようには決して書いていない。然し、この自伝を読むとキリスト教信仰に関しては良い指導者がいなかった、という感じがする。環境といってしまえばその通りだが、青山学院のキリスト教に問題があったかもしれない。ミッションスクールというのはみんな多分今でも問題を抱えているだろう.

また内村鑑三に出会っていればまた違っただろうという事を書いている。さらに言えば「野火」ではキリスト教の神が出てくる。そこで彼は悩み苦しむという事になる。だからかなりの時期までこのキリスト教にはこだわっていただろう。解決しないまま老年になったか。なお、中学時代に聖書の中のパウロの言葉について質問している。それは友人の外山五郎(この方は将来牧師になった。また林芙美子がフランスまで追いかけてきたという事で有名な男性)「我かつては律法なくして生きたけれど、戒め来たりし時に罪は生き、我は死にたり」という言葉の意味を質問したが答えられず、がっかりしたようなことを書いている。しかし、しかし、そんなことを覚えているのだろうか。そんな細かい50年前のことを。疑問である。これが本当であれば、彼はこの言葉が非常に長い間ひっかかっていた、という事だろう。

関東大震災

それより、注目をひくのは関東大震災のことである。最後の最後の方にこの話は出てくる。どうも渋谷地区は被害がさほどなかったようで、この被害を受けて困ったことはあまりなかったようだが、この震災によって、銀座や下町の有名店が続々とこの渋谷に出てきたようである。それは、この復興には最低でも4年かかると言われていたので、そのころの有名店はこぞって新興地となる渋谷界隈を選んで引っ越しをしてきたようだ。結果としては復興に4年はかからなかったようだが、いまの渋谷の発展を考えるとこの震災がきっかけだったのではないかと想像させられる。

交友関係

また彼の交友関係を見ると、やはりある程度の金持ちが周りに住んでいた、という事と関係すると思われるが、ハイクラス(財力;家の大きさに現れる、また知力;有名大学卒業の官吏や学者)の人たちとの付き合いが多いという事がわかる。少年時代に、影響を受けやすい時代にレベルの高い人たちとの関係があった。そういうことによる大岡少年の頭脳は相当開発、啓蒙、刺激を受けたのではないだろうか。富永太郎、頼山陽のひ孫か系譜の友人とかなどがいる。また現在ではほぼ無名となって忘れられているような作家や文人などと同級だとか同窓というようなことも多く、よい影響を受けてきたのではないかと想像される。

この自伝の注目点

要するに調べぬいたという事である。自分の少年時代の渋谷近辺の地誌、渋谷区史などを徹底的に調べ上げる。また友人知人という人たちには再度あってみて確認をするという。そういう細かな事実を無いがせにせず、調べるという態度が徹底している。だから煙突がどのように見えたかなどに非常にこだわっている。こういうところはいかにも小説家である。渋谷や青山に詳しい人は彼の書いているところを歩いてみることもできそうである。ある意味の東京散歩である。

結論的に

小説家としては非常に近くにいい手本なり、啓蒙してくれる人が多く、この職業につくにはいいところに住んでいたなという事である。しかし彼が書いているが、自分のアイデンティティというものにこだわったことがなくいまだにわからないでいる、そのためにこの自伝を書いている、とある。そういう事から断言はできないが、思想的には大きな迷いの中にいたのではないかと推察される。中原中也や、富永太郎という夭逝した人たちに憧れたりしている。中原中也などは生活破綻者である。明治以降の作家になる人は男女関係で苦しむことになり自堕落な生活をする場合が多い。まあほとんどといってもいいくらいだが、周りにいい手本がいたので、彼も例外にはなれなかった。やはり文士系列に過ぎないのか。地に足のついた生活感とか健全な思想というのは少ない。健全な生活というものは作家からは出てこないのか、という疑問が浮かぶ。この「少年」時代にもそのことがよくうかがわれるのである。この対極にあるのが金達寿だ。(「アリランの歌」から)

カントの平和論とは

イマヌエル・カント「永遠平和のために」中山元訳、光文社古典新訳文庫、2006年初版(原著は1795年)

なぜこの本を読むか。

まずカントの本はむつかしい。突然抽象化が始まる。それも極端でさりげなく飛躍していくので訳が分からない。実践理性批判などの批判論文などは歯が立たない。しかし、この本はやさしそうに見えるしかつ短い。それでカントの本は一冊でも読もう、ということとこの表題となっている、理想主義的なテーマから一度は読んでみたい本の一つであった。また中山元訳は読みやすそうである。

この本のめさず所

まさに戦争をやめて完全な平和というものを達成しようとする非常に現実的な問題意識からこの本は書かれている。だから読解的には目標がはっきりとしており理解しやすいという事の上に、短い。これはある部分は捨象している。端折っているだろう。他の文書を読めばわかるようなことかもしれないが、1冊しか読まない人間にはどこを端折っているかはよくわからない。

本の中身は

 簡単にいうと、軍備の廃絶、国際連盟の思想、法治国家と市民の健全な育成、平和条約における秘密主義の撤廃、公開性の絶対的な必要性などについての案が示されている。特にこの中で国際連盟的なものを想定しているところは天才カントであろうか。また現在問題になっている移民や難民の問題を世界市民という概念で救いとれそうな案も出ている。これはグローバル市民という言葉を使ったアントニオ・ネグリ(帝国)と共通しているところがある。ネグリにとってはヨーロッパの夢の夢といっている考え方である。

 一方でカントにとっては女性と子供は市民ではないらしいが、それはこの時代の制約と考えられる。とすればこの世界市民、突然彼はこういう形で飛躍するのであるが、この各国の市民権から世界市民という考え方に移行すれば世界中の人間は市民権を持てるという事になる。これは理想ではあるが、はっきりとした将来の目指すべきターゲットを指し示すという意味ではありがたいのではないだろうか。カント以後世界市民問題はどのように展開されてきているかはわからないが、国連はそのような動きには少しは連動しているのではないだろうか。あるいは建前だけか。オリンピックもどこの国にも所属しないそのようなグループが参加している。これはそういう世界市民的な考え方を先取りしている。現代はこの世界市民、グローバル市民への生みの苦しみの時代なのかもしれない。この考え方が各国の憲法などに取り入れられるようなことがあれば、はっきり言って戦争は完全になくなるだろう。アントニオ・ネグリの言わんとしてるところは経済はすでにグローバル化して国境はなきに等しい、と。かつこの経済に携わる労働者は権限さえ乗り越えれば世界へアクセスできる。だかららあと一歩まで来ている、と言っている。またネグリはグローバル市民権というもので市民保証をしようという提案もしている。一応現代までこの考え方は生きているのだろうか。

独特な論理の進め方

 彼の考え方は、人間の持つ自然性をうまく理解して使うべきだという考え方である。例えば民衆には法律を守らせたいが、自分だけは法律の制約を受けない者になりたいという人間がいるとしても、そういう人間も人間の自然性から自分も法律を守らざるを得なくなるのである、という事例を出している。(悪魔の世界にも法律が必要となる。)つまりこの自然という性質をうまく理解し使いながら法の整備などやればおのずとその平和の可能性が出てくると言うものである。楽観論ではなく悲観論でもない。理想論でもない。特に国際法は穴だらけなのでこの国際的な国家間の連合と国際法の整備によって永遠平和の道につながると考えている。またここで使われている「自然」という思想は「自然状態」の自然と「自然の意図するところ、自然の計画、自然の法則」という意味での自然の両方の語義として使われている。特に「自然の意図するところ」というのはいわないが「神の摂理」という考え方があると思われる。これは、マルクスにもあって歴史の法則というような言葉になる。

最後に

これは我々の課題である。平和主義というものを追求することはマルクス主義でもなければ右翼保守でもない。平和さえあればいいのか?という声も聞こえてきそうである。そういう意味ではマルクス主義からは敬遠されていたのかもしれない。しかしここに書かれていることは、非常に重要であるし、我々も考え直さなければならない。遅すぎることもない。また彼は道徳、理性、法を非常に信頼している。彼の哲学の背骨である。

戦争と個人の責任を考える

小田実「難死の思想」岩波現代文庫、2008年発売(初出1965年1月号『展望』その他は1976年まで他の雑誌などに書かれたもの。彼の33才から43才のころの評論集である。)

小田実は29歳の時に発表した「何でも見てやろう」で有名となった。その後は「べ兵連」という名で知られている活動を通して市民運動家のように見られている。しかしある時にぱったりとメディアからは消えていたように見えた。突然夜の討論番組か何かでテレビに出た小田実を見てえらく老けたなとは思った。彼は2007年に亡くなる。(1932年生まれだから享年75才)その後気になっていたので、彼の著作は少しは読んだ。小説は全く読んでいない。解説によると彼の小説は海外では評判であるという。

難死の意味

これは最初どういう意味か分からなかったが、ヤッフーなどで調べると、戦争や大震災などで庶民が無意味に死んでいくことをさすようだ。小田の造語。

この現代文庫の最初の評論がこの「難死の思想」である。33才くらいの若い人が、いくら頭脳明晰とはいえ政治意識が高く、当時の世界状況などを極めて的確に把握しているという事が目を引く。この33歳の時にはまだ「べ兵連」はスタートしてなかったようだ。

内容

これは、彼の評論の中ではこの考え方でその後もずーっと引き続き追及している考え方なのであるが、「公」と「私」の原理のぶつかり合いの問題を戦争という状況を前にしてどう考えていくのか。これは啓蒙ではない。自分の悩みの中で、自分の言葉を探りつつ自分の頭で考えて書かれている。マルクス主義とかカントやヘーゲルの哲学から発想したのではない。ある意味手作り感のある言葉で書かれているのである。その後に出てくるのは、この「公」と「私」の間を取り持つ考え方に「普遍原理」というのが出てくる。これは、民主主義とか愛とか、平等とかそういう普遍といわれている考え方をさす。

戦争という「公」の状況に「私」が取り込まれてあがらいようもない所に置かれる。彼は大阪で空襲を1945年の8月14日に受けてそこで人々の無残な姿を見出す。そこに「難死」という言葉を作った。彼は小説家でもあるので、非常に個人の問題を重視するのである。ここは非常に重要で世界史なり戦争というのには悲惨の対象としての人々は出てくるが、この歴史的な状況にある意味個人は関係ないとして政治史的に政治の移り変わりを歴史とする人が多いが、彼はその「公」状況の推移について「私」側がどれほどの問題を抱えることになるかをテーマとしている。

また、その民衆の被害者としての「難死」がさらに大きな問題を抱えているのである。それは加害者と被害者問題として取り上げられてくる。

日本人は戦争の被害者としての意識が異常に高く、加害者の意識はほとんどない、という。それはなぜか?小田の目は厳しくてその個人の責任の問題をめぐって、考えがめぐらされる。加害者であるという状況の中で被害者となった、と正確に考えることができない。この個人の責任問題を彼は重視する。もちろん「公」の責任問題は追及されるが「私」の責任問題も同様に追及される。この論文をきっかけとして、「べ兵連」活動が始まったというのもうなづけるところである。

あるところでヒロシマ、ナガサキに原爆を落とした当のパイロットの責任問題を問うところまで行く。然しこれは無謀とは言えないだろうと思う。自分のやっていることが国家の命令であれ「私」の原理はなかったのか、という問いである。(ハンナ・アーレントのナチの戦犯裁判の問題までつながる。)

また戦後、日本人の主婦が外地での戦争体験を手記として書かれてるものも多い。小田はその被害者意識中心の手記について、その主婦にも加害者という責任があるという視点が全く抜け落ちてることに疑問を呈する。ここに小田らしいところがあるのだろう。

結論として

花崎皐平の本に「ピ-プルの思想を紡ぐ」という本がある。彼は哲学者であるが「人々」の思想を大事にしたい、カントやマルクスから修辞学のように上からやってくる原理的思想に乗るのではなく「人々」の原理に戻って政治を考えようというのがあるが、この小田の本も似ているところがある。自分の頭で自分の目で見て考えていく。まずマルクスの思想があるのでもなくまずカントやヘーゲルの思想があるのではなく自分の「原理」で考えていくという態度を持っているという事だ。そして文庫の帯にあるように「公」の大義ではなく「私」を生き続けるためにである。このある意味柔らかな思想というものが、あの歴史的な「べ兵連」の活動を生んだと言えるだろう。ただ日本人の中にも少なからず良心的兵役拒否の人々がいたのである。そこは彼は触れていない。また彼の論理だと国家対個人のぶつかり合いという事になっていく可能性は強いが、ある意味個人が国家にぶつかるという事、これも実際には歴史的には少なからずあったのである。われわれはそういう数少ない例を勉強する必要もあるだろう。

また我々の仕事の中にも「公」と「私」の問題が発生することもある。よく考えて行動する必要がある。

国富論よりこの本を薦めます。


法学講義、アダム・スミス、水田洋訳、岩波文庫、全500ページ、2005年発行

(原書は1748年から51年にグラスゴウ大学での冬学期の講義の学生のノートから)

初めに

この本は経済学者として世界的に著名となった古典、国富論(=諸国民の富)の作者であるアダム・スミスである(1723~1790)この国富論は現代でも経済学としての学問を切り開いた先駆的な書であり今なお経済学徒はこの人の本を勉強するのである。「国富論」も有名だが「道徳感情論」も有名である。然し彼のこの2つの著作は長い。この法学講義は岩波文庫一冊分である。それでも500ページという分厚さとなっている。現在ヘーゲル(1770~1831)の年次別の講義録というのもあり学生のノートも非常に重要であるということになるかもしれない。このアダム・スミスの講義録もこのように何部か残されているようである。ある人によると当時の出版物は国王の許認可が必要なので文章は固くなりがちであり、言えないことも多かったようである。しかし講義録となるとまた授業風景が浮かぶような感じもするのである。そこでは現在のように録音機もないのでデータを公開されるような心配もなく話すという事になる。学者の本音が聞かれるのである。

内容は

法の一般理論風に始まり、司法、公法、家族法、相続と続く、そのあとに生活行政、軍備、戦争、国際法と続く。

 国富論を読むならこの本を読めと言いたくなる内容が書いてあるのが「生活行政」という個所。この文章はページ数で言うと全体の25パーセントくらいを割いているが、ここに彼の持論の国富論の要約のようなことを書いている。これを講義したのは28歳から30くらいの間であることを考えるとやはり天才である。

 国(国民)を富ますのはお金ではなく生産であるということ。その国(国民)を富ます生産というのは、人間の交換するあるいは交渉する特性によって生まれた分業によるのであるという事。分業の合理性という事はその仕事が非常に狭い分野に限定されているため改善し生産性を上げようというモチベーションを高める。これは自由な人権が前提であるが、そういう近代的人間であれば必ずそのような行動に出る。またそのモチベーションが勤勉にさせる。この辺りはM.ウェーバーや大塚久雄、内田義彦、などを思い浮かばされるところである。彼は奴隷との対比でそのことを描いている。比較は大体ローマ時代との比較となっている。

 法規制、税もその点から彼の論理が出てくる。自由貿易、お金(=金)の輸出は禁じられていたが、金を輸出して品物を得ることの方が国民の裕福さをさらに増やすのであると説く。お金主義の経済学者で政府の方針が間違った多くの事例があると言って歴史的な事例を説明する。

お金主義というのは王様のように国庫にお金が減って輸入品が増えてくると貧しくなってしまうという考え方である。商品の量を見なさい、とアダム.スミスは言う。逆に問題があると言って関税をかけたり禁輸したりするという事が国民を貧しくする。そのお金を動かしていくことが必要なのである、という事だ。分かりやすいと言えばわかりやすい。この考え方の延長線上にマルクスやケインズが出て来る。彼は小さい政府論者である。また法規制は極力ない方がいい、という。自由貿易論者でもある。重商主義的だ。

  この国富、国民の豊かさを得るのは、分業という非常に効率のよい生産方式があればこそである。これによって国富の増進ができる。つまりこの分業を活かすための政策というものが政治に求められるという事を強調している。まさに近代資本主義の発生時期の経済学者の発言である。

最後に

  このグラスゴーの講義の年代を見ると1750年代である。これは日本では江戸時代。明治になるまでにまだ100年ある時代である。その時に法学の基本が大学で話され、経済学の基本が話されていたのである。今でも多くの人が引用するような学問がすでにあったという事が驚くべきことである。(この講義は彼の28から30才という若い時期の講義ですでにその分業という経済学の基礎の考え方があった。)

特記すべき言葉

法律についても彼は効用という言葉、そして第三者としての目という事を言う。こういうさりげなく出てくる概念というものが彼の学問を支えている。また自然価格という言葉も非常に重要な概念として出てくる。自然という言葉はこのヨーロッパの学問ではしょっちゅう出てくるが言っている人によって使い方は違う。非常に重要なキーワードとなっている。自然という言葉はある意味厄介な言葉である。

追加の感想

読後は非常に味わい深い本であると感じる。彼の講義は政治と経済が混じり合って豊かさを追求するにはこうすべきだという冷静なそして科学的な目がある。もうひとつ言えば書かれていることは基本的なことだ。そこが古典と言われる所以か。現代の日本で議論されているようなことが出てくる。一つの例では消費税、高関税という言葉、そういう事からしても我々のためには非常に勉強になる本である。