収容所のプルースト、著者;ジョゼフ・チャプスキ、2018年発行、出版;共和国
この本は1940年から41年にかけてソビエトのグリャーゾベッツ収容所で、冬の間にチャプスキが極寒の中でポーランド人将校らに講義した内容が訳されたものである。
アフリカの近代とは
日本の近代が目指してきたものとは
日本の近代とは何であったか、岩波新書、三谷太一郎2017年3月発行
大体、1870から2000年位までの日本の近代の歴史を大きくとらえ現在までの発展に何が基本的に重要だったか、どういう問題を残したか、今後どういうことが必要かというような内容である。
続きを読む “日本の近代が目指してきたものとは”ロシア史の中のエリツィンの位置
「エリツィンの手記」上(崩壊、対決の舞台裏)同朋舎出版、1994発行
1,なぜこの本を読むのか
ロシアの成立という問題について何がどうなったために、ロシアという国が成立したのかと思いこの書物を手にした。いずれにせよロシアの中心人物であるゴルバチョフ、エリツィン、プーチンと自由ロシアからの重要人物はまだ3人しかいないのである。91年の自由選挙からの大統領とすれば2人、次のプーチンしかいない。これで約30年である。
続きを読む “ロシア史の中のエリツィンの位置”ユダヤ人の栄光と悲劇
ユダヤ、世界と貨幣(一神教と経済の4000年史)、ジャックアタリ著、的場昭弘訳、2015年、作品社
的場昭弘教授の市民講座に出ている関係で読むことになりました。
この本は一言でいえばユダヤ人の苦難の歴史とまた逆にこれからの希望を書いたものといえます。徹底的にユダヤ人の肯定、擁護であり、彼らの価値観の優れているところを描き切ったものといえるのではないでしょうか。
続きを読む “ユダヤ人の栄光と悲劇”全英オープンからヨーロッパの思想を知る。
ドイツ古典哲学の本質(1834年)、ハインリッヒ・ハイネ、伊東勉訳、岩波文庫1951年発行
全英オープン2019年7月21日、ローヤルポートラッシュゴルフクラブでシェーン.ローリーが優勝した。場所はベルファストから北へ100キロから150キロくらい真北に行ったところにある。ノース海峡を挟んだところのリゾート地だそうだ。美しいゴルフ場だそうだが、テレビで見る限りぞっとするような断崖絶壁があり雑草の生い茂った自然そのままのゴルフ場だ。日本人はこういうゴルフ場を見るとたぶんやるきがなくなるようなゴルフ場の一つではないか。僕はシェーン.ローリーが満面の笑みを浮かべて勝利した映像を見ながら、ここは日本人の出る幕ではないなと思った。将来はここで勝つ日本人選手が出るという楽観的な見方もできないだろう。
これは自然に対する考え方のあまりの違いゆえに日本人にはあるいはアジア人には勝てないのではと思う。
1、前提
イスラエルの宗教の聖典である聖書は天地の創造のはじめには4大恐竜との戦いがあってその混沌(カオス)との戦いにヤハウェ神が勝って、この世界に秩序をもたらしたということが前提になっているそうだ。どうもそういう口承伝説があって、イザヤ書や詩編にそういう混沌の中に住む怪物の話がたまに出てくる。それは聖書を読む人たちにとってはそういう前提で読んでいるとのことだ。つまり聖書の民は混沌との戦いに勝利したというヤハウェ神を信じたということだ。このテーマはヨブ記にもつながる。ヤハウェ神はヨブにとっては神という怪物であった。その怪物との戦いがヨブ記の全面に出ている。そういう物語の現代版は白鯨である。巨大な怪物、混沌から来た怪物との戦い。これが白鯨のテーマだ。これがキリスト教国民のある部分の人たちにはしみ込んだ思想、エートスであることは間違いがない。つまり混沌たる怪物との戦いというテーマは長いのである。
2、この本は何をテーマとしているか。
この本はドイツのルターからデカルト、スピノザ、カント、フィフィテ、シェリング、ヘーゲルを取り上げてフランスで出版されたフランス向けの本である。フランス革命がおこり、その当時の精神的高揚も感じられるような本だ。
この本を詳しく解説することはできないが、
①ドイツの思想史、哲学史がどの程度、スピノザに多くの影響を受けているのかということがはっきりわかる。スピノザという人もあまり大衆受けしないのか人気がある人とは思えないが最近はルイアルチュセールの研究やマルクスがスピノザの哲学はよく読んでいたとかということで逆に現在脚光を浴びているところだ。
②この哲学の歴史というものがルターから始まりヘーゲルに終わるのであるが、何が問題になっていたかというと、神の存在とは何か、という設問であった。これをめぐって汎神論、超越神論、カソリックとプロテスタントの闘いが連綿と続いている。
ハイネはこの哲学の歴史というものを神の存在の問題として設定している。
その中でスピノザの影響が圧倒的にドイツで強かった。
特にスピノザの汎神論というもの、自然そのものに神は宿るといった汎神論で彼はユダヤ人から追放を受けた。これは無神論ではないかとの疑惑を持たれた。もはやユダヤ人にはなれなかった。
怒ったりわめいたりする父親的神の像というもの(超越神論)と汎神論が対立してドイツの哲学の歴史は作られているという。
カントも純粋理性批判なるものを書いて理性では神を認識することができない、というスピノザ的思想を非常にまずい文章で書いた、とハイネは言う。
3、神という怪物を認識する闘い
ここでいわれていることは神をめぐっての認識論から始まって哲学ができつつあるのである。この哲学というのは、神というわからないものを相手取った思想の戦いなのである。このよくわからないもの見えないもの、その圧倒的影響力のある神という概念をどう認識していくかが哲学の歴史となったということは、ヨブ記のテーマに戻るように見える。神認識というわからない怪物への認識をどうするのか、自分を痛い目に合わせる神というのは何か、この時のヨブに現れる神はまだわかりやすい神であった。しかしルターから始まるスピノザやカントの神はわからない神であった。像が結ばない。多分にそれは支配階級としての貴族のためのキリスト教というものであったがためともいえる。
4、自然という怪物
この神への認識論がヨーロッパを精神的に作りあげ今なお作っているということは日本人にありえない考え方であると思われる。このわからないものへの認識の闘い、分からないという怪物との戦い、つまりカオスというものとの戦い。これが最初にあげた全英オープンまでつながっているように思えて仕方がない。
このゴルフの戦いは、競争相手のとの戦いはもちろんであるが、カオスとしての怪物のような自然との戦いを強いられるのである。日本人向けの単なる自然ではない。荒涼とした怪物としての自然なのである。これがヨーロッパでは長い歴史を持っている。そう簡単に日本人が認識を変えることはできない。エートスは変わらず。もし日本人が勝つとすれば技術ではなく、この闘いの思想を持ちえたアスリートが勝てるのである。
英国のEU離脱
「問題は英国ではない、EUなのだ、21世紀の新.国家論」、エマニュエル.トッド、堀茂樹訳、文芸春秋(文春新書)
この小さな本は問題を沢山はらんだ本といえる。
このエマニュエルトッドという人はフランス人、歴史人口学という学問の専門家である。(日本の慶応大学には速水融(名誉教授)という学者がいて彼も歴史人口学の大家でかつ友人という。)
年齢は現在68歳、1951年生まれ。フランスの学者、たくさんの本を書いているがこの人の本当の狙いは、経済学だけで世界は読めないと言っているように見える。何でもかんでも経済学ですべてを理解しようとする傾向に腹立っている。歴史の深い多様性を理解するには経済学だけでは済まない。
続きを読む “英国のEU離脱”芥川の「魔術」の面白さ
「魔術」芥川龍之介、1920年発表、(「黎明の世紀-大東亜会議とその主役たち」深田祐介、文芸春秋、1991年発行、こちらの本を説明するための背景としてこの「魔術」をとりあえず紹介する。)
芥川龍之介の魔術という小説を読む。これは5分もあれば読める短編だ。
中身は青空文庫などで無料で読める物語である。
続きを読む “芥川の「魔術」の面白さ”60過ぎてからの留学
60歳からの外国語修行、メキシコに学ぶ、青山南著、岩波新書、2017年発行
この本は何が面白いか
60歳という年は人生の終わりと思っている、という事それにもかかわらず、さらにメキシコに行ってまでして語学の勉強をする意味があるのか、という問い。ただしこの著者はある意味翻訳家でかつ大学の先生でもあるので本来的にはスペイン語というものを学ぶ必要がある人でもあった。(特に米文学はとみにスペイン語が突然小説の中に使われてきている。スパングリッシュという言葉があるくらい)しかし確かに人生の終わりに近い人が語学を学んで何の意味があろうかという気持ちはぬぐえない。そう思う一般の人たちをも想定して書かれている。
続きを読む “60過ぎてからの留学”文学者の戦争体験
新・日本文壇史、第6巻文士の戦争、日本とアジア、川西政明著、2011年発行全10巻岩波書店刊
伊藤整の日本文壇史の精神を引き継ぎ、夏目漱石から井上靖の死までを扱い日本の文壇の実像を示すと奥付には書かれている。
この巻はこの10巻の中でも異色である。作家と戦争をテーマにしている。
これは大変な書であると感じる。大変細かな史実を丁寧に追っている。作家の所属する軍隊とどこでそのような局地戦があったかというようなことを種々の資料から読み解いている。数多くの昭和初期に活躍している作家たちがアジアの戦争に参加していった。そしてその後には多くの戦争の作品を残した。私はその一つ一つが非常に重要と思うようになった。それはなぜか。引用されている文章からわかることは、彼らの書いたものは戦争の恐怖ではない。死ぬことの恐怖でもない。自分たちがした事への悔恨と苦しみであるという事に気が付いた。この事の重大さに感じてこのブログを書くことにした。
続きを読む “文学者の戦争体験”