クリスマスの日にブレイクを読む

対訳ブレイク詩集イギリス詩人選(4)松島正一編訳、岩波文庫2004年

今回は詩人のブレイクを取り上げる。(1757-1827)

一通り伝記風のものも読んだが、なんとなく風変りの人である。

彼は銅版画家

しかし近年非常に注目されているということで気にはしていたが、とっつきにくい雰囲気を漂わせている。彼の銅版画の画像を見るとわかるが、顔が異様に大きい足も同様である。グロテスクである。少し気持ち悪い。しかしこれらはある意味挿絵だと考えれば納得いくものではある。普通の絵ではなく本に文章上の理解を助けるために書かれた挿絵である。だから勢いデザイン的になるのだろうと考えてもおかしくはない。またこの詩人であるブレイクは基本的には銅版画家だ。生前は詩人としての名声はない。彼の職業は基本的にはこの銅版画家としてキャリアである。(1990年開催の国立西洋美術館で開催されたウイリアムブレイク展の時に発行された『ウイリアム・ブレイク』という厚手の本はこの銅版画にブレイク特有の彩色した絵をかなりの数を写真化しておりその美しさは本当にこっちのほうでの芸術家であることを証明している。日経新聞社刊))

かなり異端的宗教に近かったか

伝記を読むとスエーデンボルヒの宗教などをかじったようでやや異端風なところが垣間見られる。しかし彼の銅版画の素材は、ミルトン失楽園、聖書ヨブ記などであるから基本的にはキリスト教徒と言っておかしくない。

「虎」、「ロンドン」という有名な詩について

かれの詩の解釈はいろいろあるが、今回これを取り上げるきっかけとなったのはなんとなく読めるのではないかという気がしたからである。突然これは理解可能ではないかと思った。特に有名な「虎」については理解できる、と思った。そういう気持ちになったというだけだ。深い解釈があるわけではない。凡人でもこの有名な詩を感じることができる、ということだ。

いろんな研究があり研究本だけで歴史を感じるほどであるが、一編の詩も感じられなくて自分にとっての大詩人なのか、という疑問もあり、一つ二つの詩を感じようということで読み始める。

伝記など読めばわかるが、彼は社会的には非常に批判的であって特にフランス革命によって大きく影響を受けた。さらにそのフランス革命が革命後には反動に後戻りするのを見て人間世界の全体の深刻な問題についても理解し批判的になってきたといってよいだろう。

「虎」

そういう意味で彼の詩は社会批判、人間批判と思って読めば読めないことはない、と強い確信のを持って、超有名な「虎」(岩波版の訳者は表題がTigerではなくてTygerとなっていることに注意を促している)という詩を読んで見る。

最初の4行

虎よ、虎よ、輝き燃える

夜の森の中で

いかなる不滅の手で、あるいは眼が、

汝の恐ろしい均斉を形作りえたのか。

最後の4行

虎よ、虎よ、輝き燃える

夜の森の中で

いかなる不滅の手で、あるいは眼が、

汝の恐ろしい均斉を形作りえたのか。

リフレインとなって終わる。

私の解釈

ここではいかなる不滅の手というのは創造主、神の事だろうと思われる。

虎、というのは獰猛で暴力的なそして強い悪そのものだろう。

神と悪との対立と同居の問題を虎を象徴としてとらえた。悪も神が作ったのだ。この矛盾を感じて書いている。そこには鋭い批判精神と世界への深い感受性が生き生きと現れている。

つまりこの詩は悪というものがどれほどの恐ろしさと逆にどれ程の美しさと魅力を兼ね備えているのか、やはりそれもなぜ神は作ったのか。これはダンテの新曲にも出てくる虎である。この世界が生半可で理解できないしそれがゆえに自分を悩ませる。簡単に割り切ることができない。それゆえにこの世界もまた新鮮な驚きに満ちている。

そこがブレイクの近代的な視点を感じさせるところだ。

彼自身は正統派キリスト教であったかはよくわからないところであるが、キリスト教的な発想はしている。その後のヨブ記の挿絵や、ミルトンの挿絵などはそういうことを想起させるものである。

分かりやすい「ロンドン」という詩

この「虎」のあとに「ロンドン」という詩がある。

これも社会批判的な詩である。

最初の八行

特権ずくめのテムズ川の流れに沿い

特権ずくめの街々を歩き回り

行き来する人の顔に私が認めるものは

虚弱のしるし、苦悩のしるし

あらゆる人のあらゆる叫びに

あらゆる幼な子のあらゆる恐怖の叫びに

あらゆる声にあらゆる呪いに

心を縛る枷のひびきを私は聞く

こういう社会問題的なそして社会批判的な姿勢のある詩が基本的にあり、ある意味わかりやすい。

社会派詩人一辺倒かというとそうではない詩集もある。預言詩等もある。単なる社会派ではない。ちょっと違うようでもある。

一応紹介はここまでである。垣間見た程度で申し訳ないが、これ以上は今後のブレイクとの長い対話が必要だ。後日私の力の及ぶ時に再度取り上げたい。

最後に

この岩波版ブレイク詩集については、専門家にはかなり物足りないだろうが入門編としてはこれで十分感じることもできるだろう。

このブレイク詩集は英文と参照できるので分かりやすいだろうと思う。また選ばれた詩は有名な「無垢と経験の詩」からの採用が多い。

この詩人の全容を知るには相当な研究もありそちらを読むしかない。こういう詩であったのであれば読めるという人もいるだろう。今回は入門的紹介である。この詩人はイギリスの中では異色のほうであろう。ワーズワースなどの自然詩人と比べれば全く違うといってよい。視点が全く違う。T、S エリオットやオーデンに繋がるのか、ミルトンやダンテに近いのか?わかりにくいところに魅力がある。

背教者という思想形成

武田清子著「背教者の系譜」岩波新書、1973

最初に

この本は古いものであるが、今読むとどういう事になるのか。そういう興味もあって読んだ。ただ今では限界があり古いのか、今なお価値ある作品であり続けているのか。(要するに丸山真男とか大塚久雄などの文化的知識人と言われている人たちの華やかなりしころの作品であり、われわれが学生時代に読んでいた本の一つである。)

背教者

背教者というものがなんであるか、という定義。これは、著者にとっては思想的に非常に価値ある背教者のことを指す。つまり教義に収まらないではみ出していく人々によって新たな思想が生まれているのではないかという問題意識だ。代表的な人物として木下順二を取り上げている。ここでいう背教者というのはキリスト教からの背教者であるが、それが日本の中である意味正当派キリスト教の枠に収まらないが故の背教者であることを自覚的に選び取った人のことを指し、かつそれが日本のエートスおよび思想をより豊かにするような思想になりうる可能性があるとしている。

背教者のイメージ

ただし、私見を言わせてもらえれば、現代の背教者とは本当はどういう人がイメージされるだろうか。江戸時代の隠れキリシタンの場合とか戦前のマルクス主義者とか何らかの権力による弾圧があって、持っていると社会的に抹殺される思想、信条から離脱するような場合かその種の弾圧がその人を左右して離脱せざるを得ない場合などではないだろうか。つまり背教者であることが政治的に弾圧を逃れたり、逆に以前持っていた思想や信条に反して権力に沿う形で協力したり裏切ったりすることではないかという気もする。現代の背教者というのはそういう政治的なことは一切ない。黙っていれば背教者であるかどうかなどということは一切わからないわけである。だから著者はある意味で広い意味での背教者というものを設定している。そういう政治的な場合だけを意味はしていない。

その中でほぼ最初の半分はこの定義なり例外なりの説明に終始している。最後の半分は木下順二という劇作家、戯曲家の非常に特異な考え方について書いてあり、ある意味彼に関しての評論であるかのようだ。

木下順二のどこに意味あるのか

木下順二の戯曲の特性や考え方はいろんなところに出てくるのでそういう対談やエッセイなどから読み取っていく。

木下の戯曲の特性とは、原罪意識ということである。これはキリスト教的であり、超越したものを見ている思想だということだ。また自己否定というキー概念が彼の持っている思想である。日本人の持った原罪は沖縄、朝鮮、中国だという。なぜこれを原罪意識かというと、自分がやったのではないが近代日本に生まれた自分の問題であることを背負わされている、ということだ。自己否定はオイディプス王の悲劇にあるように、自分の目をえぐって初めて今まで見えなかったものが見えるというところに木下は、このギリシャ悲劇を見ている。かつ本人が言うには戯曲というものはこの上を見る目と自己否定がなければ成立しないものだという。また対照的に近松門左衛門や、現代の秋元松代との比較であらわになるのであるが、近松や秋元は堕落の底に落ちていくことに快感さえ覚えるような世界にいる。それを是としてしまう立場である。そこには自己否定や原罪意識のかけらもない。否定はなくあるのは自然性であり、解決不能な絶望感である。その虚無の中に漂うことに人間の悲惨さと恐れを感じている。そこには人間の全くの方向転換による革新的な生活や思想を生み出せない、自然性をそのまま認める世界である。M.WEBERが言った魔術の園に遊んでいる。いまだに。

というような、著者の見解の中で、私自身木下順二の作品も秋元松代の本も読んだことはない。そういう意味では最低でも木下の本は読んでみたい気になった。課題が増えていくが、大事なことだろう。

近代思想の多様性

ほとんど前半部分を省略したが、ここに出てくる人の名前、ガンジー、マルチン・ルーサー・キング、ラインホールド・ニーバー、チャンドラボース、ネルー、ボンヘッファー、ティリッヒ、ハーヴィー・コックス、チェコのロマドカ、幸徳秋水、木下尚江、荒畑寒村、内村鑑三、矢内原忠雄、賀川豊彦、有島武郎、高畠基之、宮崎滔天、相馬黒光、柳宗悦、などなど。キリスト教正統派である人のほかにキリスト教の影響を受けてキリスト教の枠外に出ていった人々などが近代日本には数多く見いだされ、それぞれが興味深い。

戦前から戦後にかけて思想的苦闘の中で新しい思想を構築していった。それそれの位置づけに関しては簡単な説明があり、近代思想史のような観を見せている。

しかし彼らの個人個人の内面においてキリスト教、マルクス主義、天皇制との葛藤の中で新しい方向が生まれてきた。その内面の思想的な苦闘というものが多様な形であらわれている。そういうことから貴重な思想的な財産というものが近代日本にあるのだということを知ることになる。この本の別の面での重要なところではないだろうか。(現代の多様性という考え方をすれば、転向だから駄目だとか、マルクス主義だから、キリスト教だからという、あるいはその亜流だからとかそういうレッテルで判断しないほうがいい、という考え方が出てくるだろう。)

最後に

こうして読んでいくと本書のテーマは、背教者の問題ではなくて、抵抗者の問題ともいえる。現代の香港、中国というようなまたロシア、北朝鮮などの国々の抱えている問題における抵抗の思想の問題ともいえる。長い間かけて来た抵抗の思想と実践が、ガンジーから始まり黒人解放にも影響を与えた思想が、ここにきて頓挫し始めている。

方法としての希望、未だ、ない、世界

エルンスト・ブロッホ「希望の原理」1.2.3巻、白水社1982年、山下肇他訳(原著1959年ズールカンプ社)

初めに

今回はこの本の第一巻をほぼ読了したというのでこのブログに載せようと思い立つ。

この本は私の若いころから一度は読んでみたい本の一つであった。しかし読む機会がこの年まではなかった。歳を取ってからのこの本に向かい合うには少し遅すぎているかもしれない。というのは、翻訳で一巻は大体650ページである。こんなに長い本を読むだけの忍耐力はかなり落ちているといえよう。足が丈夫でも70過ぎた男がマラソンをするようなものである。大変な事になる。しかし読み初めにはそんな大変な山岳が待っているともつゆ知らず、歩いていくうちにあまりに壮大な山でいろんな装備が必要だったということに気が付く。また読解するだけの力量も忍耐力も必要である。専門家であれば違うのかもしれないが、たぶん多くの人はこの本を読了しないでつまみ読みで終えているのではないか、とも思いたくなる。

この辺で前段を終えて

中身の検討に入る。この本は難解である。何を言っているのかよくわからない。いろんな話が出てくるがそれがこの本の表題となっている希望の原理とどういう関係にあるのかということは皆目わからない。富士山のふもとにある樹海に入った感もする。道に迷って疲れ果て倒れて死にそうな本だ。

しかし自分に鞭を打ち、

少しでも読んだ時間をとりもどす必要もあるのでどうにかして理解をしようと務めた。

結局、結論から言えば、彼の書いたユートピアの精神の線に沿って、つまりユートピアを夢見るという事が非常に重要である、ということ。そのユートピアは社会主義である。なぜ社会主義かといえば、階級社会は人間になっていない社会で、社会主義はやっと本来的な人間になれる社会であるということだ。希望に満ち、夢見、理想をもてる社会。それを提唱したマルクスの思想というものがまさにユートピアを志向し、我々に希望をもたらすのである。逆に言えば我々の希望というものが、マルクスの思想を形作った。つまりマルクスの思想はこういうユートピアや我々人間の願望がつかみ取った初めての思想というものであるという。この逆からのマルクスへの接近というテーマは泥沼のようでもあり、富士山の樹海のように曲がりくねっていて見通しが効かず、延々と語り終わることを知らない。たぶん迷う道へと通じているのかもしれない。人間の願望、夢、欲望そういうことの分析が長々と続く。いったいなんのためにと聞きたくなる内容でもある。つまり人間の欲動というものが、夢を作り、ユートピアを作り、理想を作りマルクスを作ったのである、ということだ。

この本を簡単に要約するとこういうことになるはずだ。

(間違っているようならどなたか教えてほしい。)

この著書に関連して

この本を読んでいると、しかし、彼のユダヤ・キリスト教思想というものがとぎれとぎれに見え隠れしているのではないかという感じがしてならない。というのは、「希望は恥に終わらない」(希望は失望に終わらない、という訳もある)というパウロのロマ書5,5にあるこの言葉と関連あるか、一脈通じている。この本の宣伝にも、昔見た記憶があるが、希望は挫折するか、というようなチラシがあったはずである。パウロの思想にも他にも似たような考え方がある。「目に見える希望は希望ではない。なぜなら現に見ていることを、どうして、なお、望む人がいるだろうか。私たちは忍耐してそれを待ち望むのである。」ロマ書8.24

このパウロの思想と似ているのは、「いまだ、ない」という彼特有の概念である。いまだないものを望むところに希望がある、かつユートピアもあるといっている。またこの「いまだ、ない」概念というのは力感がある。動的である。この時制、過去完了なのか、ギリシャ語に出てくる時制風である。これもヨーロッパ特有の表現であろう。

今もなおこの書は有益であり続けるのか

非常に簡単に説明をしたが、この本は今読んで有益かと言われれば、少し疑問もある。というのはやはり社会主義というのは、壮大な実験をした。そして大失敗に終わった。今まさにプーチンとEUが争いの渦中にあるが、燃え残した社会主義のカスがまだ燻ぶんでいるようでもある。北京オリンピックの最中の中国はどうかといえばこれは全くマルクスが提唱した社会主義とは言えない。社会主義とは言っているが、強権な開発独裁のような国家である。新しい冷戦も始まりそうな気配の中では、社会主義に希望を見出すことは可能であろうか。ブロッホが書いた時代にはソビエトは崩壊していなかった。まだ夢見ていた時代だ。

可能性としての社会主義に希望はあるのかないのか、はさらに今後の問題となる。持続可能社会とか脱炭素社会とか、気候変動問題などと言われて地球上の問題が目の前に迫りつつあるときに、経済的には地球規模で何らかの制限や監視が必要になり今までの成長一本やりの自由競争的資本主義をそのまま容認はできなくなる時代がやってくるだろう。地球の危機の時の、いまだない世界の構築というテーマとしては非常に重要かもしれない。ある意味柔らかいマルクス主義ともいえる。

しかし哲学者でマックス・ウェーバーとも親交のあった人であるというが、この本は壮大なパノラマのような知識を駆使して書かれている。この博識には頭が下がる、というより参る。またその問題意識は人間、人類にとって、希望の存在という絶対的に不可欠なものをテーマとしている。そういう人類に根本的なテーマを追求し語りつくせないくらいに語り、掘り下げているというのは非常に重要だ。こういうテーマについて書ける人は他にいるだろうか。そのくらい奥行きは深く幅は広い論調である。簡単に理解したとはとても言えない。再度、この本の最後まで読んだ時にはブログに載せたい。最後のほうはやはりマルクス主義のテーマになっている。

最後に

このマルクスとブロッホのユートピアと希望の問題というのは、ある意味宗教的なのである。キリスト教神学では救済史といっている。これとの関係もあるのか。マルクスにとって本当に宗教はアヘンであるのかという問題、実際ユダヤ教は一応宗教の形式の中にあり当然キリスト教もそうではあるが、実際聖書を手に取って読んでみるとわかるが、必ずしも安心立命というような世界のことは書かれていないのでありむしろ社会批判的な内容が圧倒している。特に旧約預言者は圧倒的に支配者への批判と一般の人間の罪、悪への批判に終始している。またイエスの言行録を書いた新約聖書は徹底して悪との戦いが中心となっている。特にイエスの最初の記事は悪霊との闘いからスタートしており最後はその悪そのものによって十字架にかかって死ぬのである。確かに人間の救済というものも書かれている。それだからアヘンなのか?むしろそれが彼の言うユートピアに対応するのではないのか。だからアヘンだと言われたものはむしろ違う意味のものなのだろうと考えられる。私としてはマルクスにしろブロッホにしろユダヤ人がこのユダヤ・キリスト教をアヘンとは絶対に思ってはいないはずだという確信がある。ある意味ユダヤ・キリスト教は救済宗教ではないのである。この本の中でもフォイエルバッハの宗教批判の話が出てくるが、ユダヤ人の考えた宗教批判とは実際どういうものであったかということを再度、さらに再度考察してみる必要を感じる。

寺尾誠訳「ルター時代のザクセン」について

「ルター時代のザクセン」宗教改革の社会.経済.文化史、K・ブラシュケ著、翻訳、解説、註、寺尾誠、ヨルダン社、1981

なぜこの本を読むのか

・私にとっては非常に関心の深い分野である。またマックス・ウェーバー以来論争の多い分野である。かつてはむつかしくあまりに専門的で、自分には面白くなくて読めなかった。

・慶応の寺尾誠さんが翻訳、私の師事した先生であるが、ゼミの卒業論文が書けなくて卒業できそうもなかった時、卒業してから書けと言われて4単位をもらった。やっと卒業した。このことを突然思い出して、冷や汗が出てきた。大学の入学、落第、卒業がいまだにトラウマだ。このトラウマが消えるわけでもないが、勉強しなおさなければと思う。そういう力が寺尾さんにはある。

・この寺尾さんが嬉しそうに、この著者と当時の東ドイツでの交流した時の事ことについて書いてある記事がある。ドイツに行かれた年が1977年とあるから、私はその時はすでに卒業していた。また、あとがきにもあるが、図書館で彼の本を発見した。三田の図書館の書庫とある。その点について彼は「当時、実践の長征と方法への迂回を遂げ、実証の畠へ飛び立とうとして模索していた私にとり、それは幸運の女神の贈り物であった」と書いてある。マルクス主義的実践だっただろうか、マルクスやウェーバーのような理論一辺倒的なところと実証(多様性)とのギャップに悩んでいたのだろうか。このブラシュケは地方史、実証主義的である所に寺尾さんの悩みに光が当てられたのかもしれない。確かにその前に書いている「価値の社会経済史」は理論、方法論である。それはそれで書いた後行き詰まったのか。「遂げた」と書いてあるところからすると行き詰まりではないだろう。理論は多くの事実を捨象する。そのことによる現実の多様性の理解がなくなる可能性もある。またそのことによって現実への厳しい緊張感と理解から離れていくのではないかという危惧だったのか。

また、そこには発行元の友人の当時ヨルダン社の山本さんの事にも触れていて、彼はゼミ8回生とある。また青年老い易く、学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず、朱熹(12世紀のはじめ、朱子学創始者)の作、「偶成」と言われている、この詩を著者にドイツ語に翻訳してささげた。(この内容が書かれている記事は寺尾さん3周年記念の時もらったと思う。)

この本

やはり寺尾さんが訳したということが重要である。

この本の翻訳のいきさつ、彼との出会い、交友関係については、あとがきに詳しい。

彼の本はほとんどそうだが、あとがきが長くておもしろい。自分の言いたいことを存分に言っている。このあとがきは、ブラシュケという著者が当時の東ドイツにいたということもあり、彼の社会主義論、彼のキリスト教論、社会経済史の方法論、彼の思想的立場というものを感動的な筆致で紹介している。こんなに感情的な寺尾さんを見たことがないというくらいの内容である。書ききれない感情があふれ出している。熱いものがある。経済的にも貧しい東ドイツの小さな家での深く温かい真の交流がここにはあったのだ。ここだけ見ても寺尾さんという人は大変な学者であり、思想家であり文筆家であり、情熱家であることを感じる。(彼はパッション情熱とシュパヌンク緊張が必要だ、と口癖のように語っていた。)本当は泣いて書いたのかと思わせられる。泣く人ではないが。この内容については知りたい方はぜひ本を取って読んでほしい。「神の総体」という言葉に感じるものがあるだろう。

内容

「ルター時代」というのは1500年から1555年くらいまでのドイツのザクセン地方の歴史である。歴史的にみると非常に短い期間を扱う上にザクセンという一地方を扱っておりある意味の地方史である。社会経済史であり、専門家の本というよりは、一般向けの本ではあるがそれでもいったい誰が読むのかと考えれば、ルターという宗教改革者のいた時代とその生み出されてきた環境というものを知りたいと願うある種の専門家ではないだろうか。ましてや今読む人はほとんどいないだろう。今から40年前の本である。増刷を重ねているという話も聞かない。しかし隠れた逸品というしかないだろう。その解説も含めて。

内容についていえば、彼は古文書、教会などにある、を事細かに調べてその史実だけを頼りにザクセン史を書いたという。当時の都市別人口や農民の比率、さらに収入もある程度わかるようである。この詳細なデータというものがいまだに残っているということがものすごいことではあるが、イギリスのサスペンスなど見ると過去を調べるには教会に行けということがよく言われている。教会には多くの古文書が残っているようだ。現在は古文書館というところで一括して管理しているようだ。

彼の狙いはどういうところにあるのか

つまりルターが出現して、1517年秋ヴィッテンベルグ城の門に95か条のラテン語で書かれた定義条文から発したヨーロッパ全土を巻き込んだ宗教改革というものがルターという個人の天才の力があったのでこのように大きな変化を呼び起こしたのか?それは本当か?という問題意識が一つある。スターリニズムはスターリンだけの問題だったのかという、あるいはナチズムはヒットラーの狂気がそうさせたということなのか、また現在のプーチンの思想が今回のウクライナ、クリミヤ危機を招いているのかというような事にも通じてくるある意味では現代的、現在的テーマでもある。社会経済史的にみると一個人の力だけとは言えない。彼じゃなくても誰かがやったということではないが、ザクセンという地方の持っている歴史的な特性がここまでの大きなプロジェクトにしたのだということではないか。これは歴史の解釈でもあり、史実の見方でもあり、常に問題にされるところでもある。彼は歴史の総体という言葉でこの個別史を見ていく。理論がないのではない、理論を奥深くしまっておいて史実の多様性に語らせるということなのである。もう一つは彼の認識の方法である、史実に語らせるという方法であるが、これが歴史とは何か、という理論的思想が奥に潜んでいる。(これについては寺尾さんが甘いとか批判をしている。あとがき参照)

ザクセンというのは鉱山業の発達した地域で彼は初期資本主義という言葉を使っている。鉄その他の金属などが採掘されている。それによって、高炉まで作られたようだ。この原料から金属加工という技術がのちのグーテンベルグまでつながる。このあたりから資本主義的思想というものが芽生えてきたということなのかもしれない。また城壁の中では市民が急成長を遂げ現物経済から貨幣流通の世界への変化を一番享受した。また農民戦争に見られる通り、貴族などの騎士的甲冑で身を固めた戦闘要員はもはやいらなくなった時代に入っている。そこでむしろ領域の統治的手腕が必要な時代になっていた。裁判の必要性からローマ法の導入や市民的教養の育成、記録文書の作成、計算業務、報告、命令業務などの必要から大学教育というものが要請されていた。さらにグーテンベルグが活版印刷を発明した。ただし、彼はルターの一時代前の人である。(1399年から1486年)ほとんど重なっていないが印刷技術の発展がこの新しい時代の要請にこたえたのである。またルターの95か条についてはラテン語で書かれたのだがあっという間に翻訳されドイツ語で2000部ほどすぐ売れたという。こういう事実から考えるに広範囲に読み書きができる人たちがいてこの種の印刷本を買い求めたのである。

ザクセン南東にあるボヘミヤにはフスの宗教改革があり、この影響も受けたトマス・ミュンツアー(ルターの影響を受けた神学者、牧師、農民戦争指導者、革命的思想の持主、ルターと同時代)が農民とともに農民戦争を起こした。チェコの神学者フルマートカは初期宗教革命といっている。(佐藤優の崇拝している方だ。)こういうことがあってのルターの存在であった。土地制度史、キリスト教会史、教育史、芸術史、建築史、農業技術史、鉱山技術史、文化史を駆使して叙述している。

彼の本の全体をまとめることはできないが、大体以上のような内容である。

終わりに

寺尾さんは今はもういないが彼の思想は残っている。古いとか新しいとかいう問題ではない。生き生きと生きて残っている。私自身会社に入った翌年、冬のボーナスを全部使ってけちけち旅行友の会に入り飛行場で往復切符をもらいドイツへ行ったことを思い出した。エルベ川を見たかった。またハンブルグやリューベックなどの商業都市を見たいとの気持ちに駆られてであった。冬の一週間であったか、10日あったか忘れた。初めての飛行機だった。

自分自身もそうだが、決着のつけられない問題が残っている。ウクライナ危機の問題も根が深い。ギリシャ正教の問題にもさかのぼる。今なお戦争をするのである。あのニューヨークを襲ったテロのような戦争が。人間の罪深い考え方は変わらないのか。2022年2月、戦争反対を胸に抱き、ロシアのウクライナへの侵攻、侵略をテレビで見、恐れおののきながら戦況を見守り、世界の動きを注視しつつ、深いところで関係する歴史的問題について書いた。この本を読める人はぜひ読んでほしい。

不思議なアルゼンチンの作家ボルヘス

J・L・ボルヘス著「七つの夜」野谷文昭訳2011年岩波文庫(原著1980年)

初めに

ボルヘスという人の本は全く読んでいない。この本は偶然かなり薄いので読み始めた。ノーベル賞をもらったのではないかという誤った記憶の元購入していた。ウイキペディアなど見ると賞はいろいろあるがノーベル文学賞ではないようだ。

1899年生まれ1986年没、享年86歳。またアルゼンチン国民、市立図書館補佐役(ペロン政権の時に失職する)。この市立図書館はブエノスアイレスの大通りとカルロス・カルボ通りの交差点近くということらしい、グーグルマップを見ると市中心からちょっとはずれにあるような図書館。

概略

この「七つの夜」は7回にわたる講演録である。神曲、悪夢、千一夜物語、仏教、詩について、カバラ、盲目について、と一夜ずつの講演となっている。ブエノスアイレスのコリセオ劇場で。彼は日本にも来たことがある。1979年。生まれつきの盲目ではないようだが、盲目でありながら世界の本という本を知っているというのは、耳の聞けなかったベートーベンの作曲のように不思議であるとともに天才的なものがあるのだろうと考えざるを得ない。自分でも記憶は優れていると感じているようだ。

どんな特徴があるのか

語り方が何か自分の可愛がっているものをなでながら何回も何回も繰り返して子供にでも語っているような雰囲気がある。また講演といっても全く堅苦しくはないのだが語られていることは結構むつかしいことを語っている。また結論があるのかないのか何をしゃべっているのかわからなくなることがある。講演という形式だから仕方ないのか、話が転々と移り変わっていく。かつ飛躍して飛んでいく。彼の思想には円環的なものが組み込まれていて出ていったところから同じところに戻ってくるような錯覚を楽しんでいるような所もある。

彼は基本的に文学者であり作家だ。その本が楽しければその本を読みなさいという。勉強のために読むような小説というのはなんとくだらないという。楽しいと思って読めなければ、将来読むことになるかもしれないので、今はおいておきなさい、という考えだ。講演の内容というものは簡単に言えば、そういう世界の名著である文学中の文学についての楽しみやその文学の考え方。さらに仏教、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教にも言及しているがその中の種々の本についての言説、特に変わった言説に興味があるからかそういうものの説明が多い。また以前ここでも紹介したエルンスト・ブロッホとも共通するような夢、鏡、錯覚、迷路などが好みのようである。またヨーロッパ的教養を身に着けている。さらに自分はヨーロッパ人だとしている。

中身はどんな感じか

講演の内容をいちいち説明はできないが、まず初めの神曲については、これは世界の本の中の本であるといっている。これが第一話に来るのはうなづける。この本を読まないというのは楽しみを禁欲しているに等しいという。むつかしいことは置いて、この本の中に没頭しなさい。さわりのあたりについての話がありダンテの特徴を挙げている。

7つの講演を要約するのも大変なのでこの新曲のところだけを紹介しておこうと思う。

先に書いたように文学の頂点を極めているものとして彼は高い評価をしている。特にパオロとフランチェスカが不倫によってこの世では処刑される。そして地獄へ落とされた。しかしこの二人はいずれにせよ愛しあっている。我々は、と彼女は言う。しかしダンテは最愛のベアトリーチェの愛を得られないままである。ここにボルヘスはダンテの虚栄心を見るといっている。またダンテ自身は自分の運命をむごいと感じている、とも言っている。この辺の感じ方は本当に深く読み込んで作者のダンテの気持ちに深く潜入しているようである。そういう読みの深さは同時に我々も本当に深く読んでいないとわからないものだ。

最後に

そういう意味でどの講演も語られている本を深く読んでいるわけではないのでなかなか共感するところまではいかない。特に詩についての講演などは知らない詩人も多くついていけないところもある。

最後には自分の盲目について語るのである。どこをとっても味わい深い。全体としては世界文学の文学入門となるだろう。こういう読み方までするとさらに文学というものが本当に面白く感じられそうである。

大塩平八郎には続きがあった。

「大塩平八郎の時代ー洗心洞門人の軌跡」森田康夫、校倉書房、1993年発売

大塩平八郎の乱または大塩という人物をしり、この事件の意味を考えるに非常に良い本が見つかったので簡単に報告しておきたい。

この本では、大塩の乱を世直し運動の一つとみている。これも大事な要素であろう。私としては深く考えもせずに、一介の人間が、火を放ち大変な騒動を起こしたものを、最近あった大阪の小さな病院に灯油を持ち込んで火を放った事件のように見るようなところもあった。つまり良きことと考えても大塩の乱に何か教訓みたいなものがあるのかという疑問があった。ある意味私的な怨恨もあり、私的な動機が最優先され、大坂市内に火をつけ,大坂の町民を巻き添えにし、かつ弟子たちをも、村人をも巻き込んである意味はた迷惑な事件を起こしてしまった。最後は自害して果てたというところに、何ら生産性のない行為だった。というように見えた。彼の哲学はそれなりに大きな世界観の中に築かれているが、逆にその大きな世界観がこの事件ですべて台無しになって終わったかのように思った。

しかし、いま紹介する本は、また、もっと歴史を深く見る視点を持っているように見える。

というのは彼の弟子だった弓削村の七右衛門は連座して極刑となった。しかしその時6歳だった息子がいた。彼は15歳になるまで彼の異母兄弟の兄の家で養われていた。犯罪者の息子として昼は出歩かないように母親は厳しく教育していた。

七右衛門の息子の常太郎のその後

15歳の時流罪となり隠岐に流される。幼少期は犯罪者の息子でも刑は執行されず、江戸時代の成人になってから刑が執行されたようである。法的にそういう江戸の仕組みがあった。それで隠岐に流された。しかし、隠岐で待ち受けていたものは、案外温かい境遇だったようである。その息子の名は常太郎。この常太郎は勉強熱心で漢学も収め、その後は隠岐の受け入れてくれた方の中に、彼の勉学の熱心さから医学を目指さないかと言われ、西洋医学ではなく漢方であったようであるが、医学を習得して、明治維新になり大坂へ戻って医院を開業したようである。

時代の共感

その大坂へ戻る前の慶応2,3年(1866,67年)に隠岐騒動が起こる。この隠岐騒動も世直し運動的な事件であった。農民だけではなく一部の武士、儒学関係者などがいた。そこにある意味の指導者としてこの常太郎がいたのである。そのことを史実をもとに大塩の乱後の話としてまとめてあるのがこの本である。細かいことは省くとして、要するに大塩の思想が時間と関係者の中でつながっていた。彼の思想は生きていた。だから私怨、妄想的な怒り、激発した感情の高まりによって起こしたものはないということが感じられる。単なる人騒がせな、かつ迷惑な事件で片づけられないだろう。冷静に考えていく必要がある。大塩の乱当たりの時期は幕末に近い時期である。この時期は次第に物騒な事件が起こっている。蛮社の獄という海外出航と幕府批判の問題を策謀され、渡辺崋山が自殺をし、高野長英は逃げてはいたが殺害される。幕臣たちの間の陰謀と策略と内部闘争がはやくもはじまっていた。このころのインテリはナショナリズムの高まりの中にいた。外国船、軍艦などが日本からも見える所に何そうも来ていた。そのことによる外国の状況に関する情報を仕入れるために多くの人は禁を犯し、投獄された。そういう高まりの中で、幕府の遅れた思想と怠惰な支配体制とその政策、そしてそのことによる民衆と農民の苦しみをつぶさに見ていた大塩平八郎の思想の核の中心にあったものが激発的に出てきたもので、成功することを了とも思っていなかったであろう。そういうことが感じられる。だから多くの人に共感するものを内に秘めていたのではないだろうか。

隠岐騒動

この著によれば、大塩の事件は多くの民衆、農民にある程度支持され同情をもって見られていたようだ。そのため隠岐における明治維新直前のこの騒動も世直し的な騒動であった。松江藩に対する不満が多くの農民にあったようである。新政府が土地、石高などの調査を隠岐の農民代表者あてに手紙を出したものを先に松江藩が開封し読んだことから起こった大騒動で3000人ほどが参加し松江藩の陣屋乗っ取り事件だった。ところが再度松江藩が偽装して復讐騒動も起こった。彼らは武装した松江藩に勝ちようがなかった。その時にこの七右衛門の息子常太郎もつかまりそうになったがうまく逃げた。この隠岐騒動の主役的、指導的役割をこの常太郎は請け負った。また周りからの大塩の事件の時の息子かという期待もあった。その証拠に主要関係者しか持ちようのない檄文などを実家に持ち帰っていた。彼も儒学を一通り学んでいたのでこの時の知識人といってよいだろう。この時彼は35歳くらいだった。維新政府はその後江戸幕府時代の犯罪者に対する恩赦もあり、大阪に彼は戻り医業に精を出すことになった。彼には弟もいて弟は五島列島に流されたが、やはり温かく迎え入れられ順調に育って最後はやはり大阪で大商人になったようだ。

こういうことがなぜわかったか。今ではほとんど入手不可能とは思われるが、明治時代に出版された「大潮余聞」というのが明治に出版された。内容は新聞記者が七右衛門の話を聞いてストーリー化したもののようだ。ほぼ史実という。

大塩平八郎を読む

「大塩中斎」、宮城公子編集、洗心洞箚記、檄文、1959年発行、日本の名著第27巻、中央公論社

なぜこの本を読むのか

ウクライナの戦争などあり危機の時に学者の評論などたくさん見るにつけ、学者や評論家の本音はどこにあるのかとか、あなたは主体的にこういう時どういう行動を起こしますかというようなことを聞きたくなることがたくさん出てきた。学者や評論家というのはあるテーマだけに絞って出てきていかにも訳知り顔に語るのではあるが、はっきり言ってどうなっていくのかはよくわからないというのが実情だし、そういう学者や評論家も本当のところはわからないといったほうがいいのだろう。こういう問題が起こった時に知っておくべきことや背景などは学者や評論家の真骨頂となるところである。しかし本質は現実なので、預言者でない限り非常に予測不能であるし、将来を見据えることもできないだろう。学問と現実のせめぎあいの葛藤の中に彼らはいるのか、いないのかなどと考えているとふと、学者だった大塩平八郎がなぜ大阪で大反乱を起こしたかということに非常に興味を覚えることとなった。その彼の陽明学というものに革命的な反乱的な思想が含まれているのか、それともそれとは関係なく指導者としてやむに已まれずの事だったのかとかはっきり言えば彼の動機と彼の学問との関係を知りたくなった。大学の先生で革命を目指す人なんて言うのはほとんどいない。マルクスは学者ではあっても大学の先生ではなかった。大塩も在野の学者だった。しかし公務員として何年か幕府に仕えたのである。それも与力というから今の警察である。基本的には体制側の人である。また陽明学というのも革命の思想ではなく支配体制側の思想であるはずだ。しかし彼特有の何かがあるのかめくら蛇におじず、でこの超むつかしい洗心洞箚記を読み始めた。

大塩平八郎

彼のことをウイキペディアで参照してみる。

1793年寛政5年生まれ1837年天保8年没

14歳大坂東町奉行所与力見習い

25歳与力

31歳陽明学を独学で修め洗心洞を自宅に開く

37歳与力を辞す

事件に関係するものとしては

天保の大飢饉

天保4年から5年(1833から34年)

天保7年から8年(1836年から37年)

特に後半の天保の飢饉がひどかったようだ。

また当時米一揆百姓一揆が頻発。甲斐、三河。奥羽地方では10万人の死者が出た模様。

大塩平八郎の乱は1837年、檄文とともに農民と訓練された一部の武士たちとともに豪商の家を焼き払い大砲をもって出陣したが事前に密告などもあり成功せずに終わった。この経緯も面白いものがあるが、これには触れずに彼の著作を検討したい。

洗心洞箚記(心を洗う洞のノート、という意味)

1833年発行

彼の本を一渡り読んでみる。なかなかむつかしい。基本は政治学あるいは政策学、その中心に哲学がある。また哲学の中心に倫理学があり、どういう政治が必要か、そのためにはどういう考え方が必要か、その考え方はどうして出てくるのか。その考え方がよければどういう実践があるのか、その時の精神は何か。この思想はどういう人が持つべきなのか。この中央公論社日本の名著、シリーズは漢文を和訳してもらっているので読めないことはない。しかし彼のいうところの言葉は難解である。知行合一、格物致知、太虚、致良知などがキーワードであるが、これらの言葉は概念規定のない言葉でいろんな文章を読んで分かったと思って進んでいくしかないような言葉である。

私のつかんだこれらの言葉の考え方、内容について

この本の概略はいろんな儒学者、孔子から始まるような人たちの思想の理解についてコメントしていくような内容である。そのコメントというのは彼の陽明学とどんな関係にあるのかというような内容であり、その類似と違いが自分の思想を明確にしていくようなところがある。だからノートといっても自らの思想を中心に語っていくのではないが、自然と彼の思想のがどこにあるのかということがわかるようになっている。またこの本は上下に分かれており、後半が重要と思われる。

彼の思想の骨子は太虚と致良知のこの二つだ。

太虚とは、宇宙大の空間における法、宇宙理性、神のようなものであろう。またこの太虚は心の空間にもあるので個人の世界にもこの宇宙があり、通じ合っている。君子はこの太虚を悟り太虚に身を預けられれば聖賢と言える。真理がそこにあるというような内容である。これもはっきりした定義はないが言わずとそういう感覚はわかる。またこれは、儒教特有なのかもしれないが、君子、小人とあり、りっぱな人かそうでないかと人間がわかれる。日本儒教の限界といわれるこの思想は、誰の知識か、誰のための知識か、何のための知識かというようなところが問題となる。農民や商人はこれに入らないというのがふつうである。女、子供はましてはいらない。要するに支配層の政治、国を治めるときの思想である。しかしながらこの陽明学も宇宙の真理までも問題とするのである。支配層が真理に意識が向けられていれば政治も何とかなるということになるので、支配層の倫理観が非常に厳しく問われるような思想である。これはあと一歩のところにある。要するに被支配層も支配層もそのあるといわれる究極の真理に自覚し自己の倫理を見直すとすればある意味西洋のプロテスタンティズムのような世界が生まれる可能性もある。しかしこの大塩の思想を突き詰めていけば人間はだれでも究極の真理に目覚めることが可能である、というところまで行きそうになっているのである。

私はここに大塩の乱が起こった原因ありと見ている。江戸幕府の爛熟と腐敗とはかねてより言われてきたことであり、それがゆえに、明治維新にて敗北し幕府の時代は終わった。つまり、大塩の論理で言えば経世済民は支配層の倫理観が非常に重要になってくる。そうでなければ政治がうまくいくはずがないと。宮城公子氏の解説も明快にはしていないがそういうことを示唆しているのではないだろうか。

致良知もこの真理を知りそれを実行に移すのが支配層の重要な役目である。政治に携わる人の重要な考え方であるとみている。

つまりこの陽明学を突き詰めていけば、宇宙万物すべてのものが真理に従うべきものであり,真理に従うときに良き政治が行われ、かつ良き生活が出来るという事になるのである。決して彼が農民について同情していたとかいうことではない。世界はこの真理に従うべきであるということからすれば、従わない人たちはおかしいということになる。かつこの実行、実践というのが大塩の大命題なのである。そこが陽明学の危険なところか。たぶんその真理を知ったならそれを実践する。生死を問わない。真理のためであればどうなろうと実践するという硬い思想が大塩の思想である。このことはいろんな箇所に出てくる。そんなに真面目に真剣になっていいのかというような感じもするが、彼はその儒教に生きているので真剣である。一秒も無駄にせず、精進し太虚の真理を得るまで読書をし致良知を目指しているのである。

大体読んでみればわかるが、なかなか厳しい内容でありすべてにおいて現実批判的である。

事件との関係

またこれを著した時というのはまだ若い時期(30代後半)であるから、これだけの博識がある人物がを政府の小役人でいることは自分自身納得もいかなかったであろう。一方日本の中では著作も発表しているので結構有名にもなっていたようである。早くして与力をやめて塾を開き、出講したりして名前は売れてきたが、彼はそういうことを目指していたわけではない。太虚の真理の伝道者であったのはないだろうか。しかし、その幕末に近い時期に天保の飢饉が起こりその時の政府の政策が彼の言うところの太虚の真理を生かした政治ではなく、上役におもねり、出世のみを願う役人たちと富にのみ目がくらむような大商人たちと言う小人とによって宇宙の大真理は破壊されていると感じたのは無理もないことだっただろう。そのことによって民衆は道端で死んでおり餓死者まで出ていた、経世済民とは全く別世界がここにはあった。彼の、真理に燃える思想からその怒りが本当に燃え上がったとしても不思議ではない。

実際彼の思想から直接的にこういう革命的な思想や考え方そして実行が生まれたとするにはいろいろ問題があって専門家でも決して一直線につながっているとは言っていない。

しかし農民にも儒教を教えていたので親近感もある、一方で過酷な税を取り立てられている農民の苦しさもよくわかっている、また死者が出るほどの飢饉であり、また他方役人の汚い世界もよく知っている大塩が反乱を起こしたとしても不思議ではない。非常に生真面目な性格で言っていることを実行しないでは気が済まなかったかもしれない。

結局はその思想と反乱の結びつきはなかなか分からないものであるが、一介のインテリがこういう反乱を起こしたことについては、回りのものは気が触れたといっている。ある精神医学の専門家はメランコリー症候群とも言っている。

伏線

伏線としてあるのは、この天保の飢饉、彼の陽明学、さらに本来はそこを脱出しているはずの名声、出世への強い意欲があった。江戸幕府へ出仕したいという強い気持ちもあった。彼の後援者であった、山城守はいったん与力を辞職しないとその話は無理だとすすめたともいわれている。しかしこういうことも結果としてはすべて否定された。そういうことが伏線としてありながら彼の学問との関係から言えば現実の悲惨な状況というものも無視はできないと考えざるを得なかった。特に大坂東町奉行所の跡部というトップに怒りを感じていたということもあり憎しみが一層強くなった可能性はある。

結論から言えば

やむに已まれぬ強い気持ちからこういう反乱を起こしたのだが、はっきり言ってこの反乱というのかこの事件はあまり評判のいいものではなかった。こういう農民一揆風の打ちこわし、火付けなどによって大げさなほどの評価もあるが、現実には何も解決もされなかったわけである。大坂の町が大火に見舞われたということから多くの焼け出された人たちが出たという。精神病説もなんでも精神病にしてしまえば誰でもがこの種のことをできたかと言えばそうでもなかろうと思う。気が狂うほどの怒り、気性の激しさ、厳しい自己規制、広大な哲学などが一体となって事件が起こった。しかし火事は燃え広がったが、市街戦はあっという間に終了した。

残されたものは何か、この彼の陽明学である。あと一歩で近代精神に行く着くところまで来ていながら、できていなかったというのは酷だろうか。それは人間の普遍性への意識が時代の制約のために限定的であった。また社会性という問題も儒学だけではいかんともしがたかった。それでも江戸の後半の時代は経済学者が出てきたころではあったのだが。

抵抗の論理としてもはなはだ弱いものだっといえるかもしれない。

またその精神医学の専門家によれば、この彼の陽明学というものは幻想だったという。しかし幻想と言って思想を片付けるわけにはいかない。長い間中国経由の学問として受け継がれてきたのであり、ある意味の論理。考え方の論理をもっている、さらに言えば抽象化というむつかしい哲学的な世界をも垣間見させている。それによって自己の思考の論理の形成を作っている重要な道具であったはずだ。ただし、彼の著作を読むと、やはり定義のない世界なのである。定義なしであるから分かったと思う人には分かったことになり分かってこない人には言葉だけが宙に浮くということだ。そういう意味では、厳密な学と言えなかったかもしれない。この儒教を江戸時代下手をすれば明治時代の人たちもわからないながら勉強していた。しかし新しい明治維新により欧米から哲学が入り科学、技術が入るとすぐにこの難解な儒教言葉で翻訳ができたのである。この能力はアジア一ではなかったか。大変なものだと思う。

だから大塩問題はまだまだ闇の中にあるといっていいだろう。

「義人がその義によって滅びることがある。悪人がその悪によって長生きすることがある。あなたは義にすぎてはならない。、、、あなたは自分を滅ぼしてよかろうか?悪に過ぎてはならない。」伝道の書7、15

わたしの現役時代に大阪のお客さんに大塩さんという方がおられた。遠い親戚のようだ。

また決起した村名に植松村とある。これは因縁か?

残忍な秀吉、義の高山右近、キリシタン受難

「日本史1 豊臣秀吉篇」 ルイスフロイス著、松田毅一、川崎桃太、昭和52年1977年初版発行

この本の原本はマカオで火事のために焼失したようだ。その後写本が見つかった。その写本である「日本史」を訳者である松田毅一氏らによって完訳された。

この本のいきさつにについては前書きに詳しい。フロイスは生きていた時にはこの本は発行されなかった。その一つの要因は長すぎるが故だということらしい。

中公文庫との違い(多少編集も違うようだ)

この中央公論社のハードカバー版は注釈付きである、なお中公文庫のほうは全部確認はしていいないが注釈はないようである。中公文庫とは翻訳内容は同一であるが、文庫のほうは小さくしただけの本ではない。

この日本史1だけでこのブログを書くのも多少の問題も感じるが、この後この全10巻ほどの発行されたものを全部読む時間があるかと心配になり、部分的にでも感想なり紹介なりをしておくことが必要と思えた。

この本の全体的な面白さ

年代は1580年代の約4,5年程度の期間である。

これは言うまでもなく、ポルトガル人であるルイス・フロイスその人が30年も日本にいて其の見たり聞いたりしたことを事件記者のように詳述している、ということがそのまま面白い。要するにタイムスリップして現代人が豊臣の時代に入り込んだような臨場感がある、というものだ。

この本の内容

秀吉がキリシタンと出会い、初期にはキリシタンを歓迎ムードで接したにもかかわらず、ある日突然反キリシタンとなる。このあたりのことは教科書にあるような内容でもあるが、海外のポルトガルの宣教師にとっては覚悟はしていたとはいえ大変な騒動となったことが詳細に描かれている。自分の部下でもあり戦略戦術の達人であり勇敢な武将でもあったキリシタン大名の高山右近などは追放することになった。また海外からの宣教師は全員日本から離れよということになった。単に、反キリシタンということではなく残酷な仕打ちというものがここに描かれているのである。この本の初期には仏教弾圧というほどの根来衆、雑賀衆という仏教徒の大弾圧から始まり、キリシタン大弾圧で終わる。

なんといってもここに描かれている秀吉は非常に残酷、残忍な独裁者であったということだ。またポルトガルが日本を征服しようとしているとか、日本人を奴隷として売買しているということなどから、日本を救った殿という最近の評価もあるようだが、確かにそういう面を見ようとすればできる面もあるが、これを読むとそういうことが事の一部からしか見ていないことによるゆがんだ史観であることが分かる。こいうことに関してはポルトガル宣教師は一つ一つ反論している。これはフロイスの記事でもわかる。

高山右近

この本で特筆すべきなのは、高山右近だろう。彼の発言がこのフロイスの書いた通りとすれば、高山右近という人は相当に近代人に近いことがわかる。信長の葬式を秀吉の前で執り行った時に、仏教式の葬式では高山右近にも居並ぶ武士と同様の仏教式の儀礼を要求されていたが、彼は全く何もしなかった。この時に切腹を命じられてもおかしくはなかった。キリシタンゆえに断るとしている。これで思い出すのは教育勅語に拝礼しなかった内村鑑三の不敬事件である。内村はこれによって一高をやめさせられ奥さんがそのことにより死に、日本全国住む場所もない状態となった。この高山右近の事件を知るにつけ日本には権力に屈しないで自分の思想を守ろうとした先駆者として内村以外にもこの高山右近がいたということになる。秀吉にバッサリと捨てられても、そういう事が今後起こるはずと思っていたといい、いつでも世俗の地位を捨てる覚悟もあるし、自分の命を差し出すこともいとわないときっぱり言い切る。秀吉にキリシタンをやめるようにすればお前を救えるというようなことも言われ、周りからもそのような進言を受けるのではあるが、まったく聞く耳を持たず、自分の思想、自分の宗教に殉ずる覚悟を表明している。彼にとって権力者は全く怖くなかったのかもしれない。

そのあたりの生々しい発言が非常に新鮮である。

キリシタンという宗教との出会い、宗教間の争い、日本の伝統と思想の闘い、西洋の考え方、あるいは異種の考え方の受容と拒否の仕方、そういうことがよくわかってくるように思える。まだまだ多くの思想、宗教が新鮮であった。この後秀吉は朝鮮出兵に行くことになるが、そこまではまだ書いていない。

今後何巻か読み進むことにもなるが、途中での報告をさらにしていくつもりである。考えさせられることが多い、このキリシタン史である。

歴史総合という歴史の見方

岩波新書「世界史の考え方 シリーズ歴史総合を学ぶ①」小川幸司編、成田龍一編,

2022年3月18日発行

歴史総合

この本は、今年の高校の歴史の指導要領に近現代史を歴史総合という科目を設置したことにより、今後の歴史教育、歴史の方法論などについて高校の教育現場にある小川幸司をいれて、考えていこうという内容である。歴史総合とは世界史と日本史の統合である。(この歴史総合という話は、神奈川大の的場教授から最近聞いた所である。)

しかし内容は、高校の教育現場という枠を超えて歴史学とは何ぞやというところへ来ている。これを高校の生徒に読ませるというより、教育現場で歴史教育をしている先生方へ向けて書かれたといってもいいだろう。さらに言えば現代の歴史学の急激な変遷に戸惑っている人たちに向けても書かれているといったほうがいいかもしれない。歴史学について現在標準的な考え方をするとすればどういうことになるだろうか、という問題意識にも貫かれているようにも思う。

大塚久雄、丸山眞男

近現代史ということから勢い、大塚と丸山の話が出てくる。要するにこの二人が起点であるということだ。大塚の論理については今まで多くの批判も知りつつも現在では、ということなのか、やはり重要な歴史的視点を保有しているという事から重要視している。丸山についても同様である。

特に大塚久雄の考え方について

彼の経済史の考え方は、主体に貫かれているということだ。この成田龍一氏の説明でようやくというか初めて大塚の理論の核心が分かったような気がした。(この本では彼が引用しているのは「戦後日本の思想」久野収、鶴見俊輔、藤田省三の対談、これも結構古い本である。)それは大塚の本を読んでいると今日から何をしなければならないかというような切迫感にとらわれるのである。そんな学問的な本は他にはあまりないのである。特に彼の「近代化の人間的基礎」や彼のエートス論を読むと猶更の感がある。それは、非常に注意深く考え抜かれていて、彼の学問は、どこまでも、歴史の中に生きて活動している人間の諸個人の主体性を問題としているということだ。ボーっと生きていようが、真剣に社会問題に取り組んでいようが否応なく責任主体であることを認識させられるという方法をとっている。そういうことがはっきりと分かった次第である。

特にエートスというのは、広い意味では思想ではあるが、人間の持っている倫理観である。あるいは共同体的に持っている習慣や考え方の雰囲気である。マルクス主義とか共産主義とかという思想ではない。日常生活の中で考えながらする行動を律しているものである。これを歴史学に持ち込んだということが彼のウェーバーから学んだ深い方法であった。非常に普遍的、かつ非常に個人的なレベルでの問題である。後のほうで、丸山が学問というのは情報ではない、主体性だということを引用している箇所がある。大塚も真理が客観的に存在しているのはなく主体的真理というものがあるということをどこかで語っている。

内容

中国史、イギリス現代史、アメリカ近現代史、アフリカ現代史、中東現代史のそれぞれの専門家が出てきて小川幸司と成田龍一らと対談を進める。問題はこの二人が出してそれをどう思うか、というような内容である。

いろいろ知らないことが多く指摘されていいて、刺激が十分ある。

戦争、ナショナリズム、ホロコースト、人種主義、空爆、ジェンダー、移民、収容所、奴隷制、戦犯問題、国民国家、民主主義、断種法、市民革命、産業革命

こういった諸概念を、それぞれのキーになる本を紹介しながら考えを深めていこうというやり方である。良知力の「向こう岸からの世界史」など面白い本が紹介されている。

グローバル資本主義

この中で再び大塚久雄の問題である。このお二人からははグローバル資本主義的なものの見方は否定されてしまっている、と言っていいだろう。またここに出てくる歴史家たちも同様である。杉山伸也著「グローバル経済史入門」は全く現れてこない。取り扱われていない。なぜか、再びこのグロ―バルヒストリーはウォ―ラーステインとともに棄却されてしまったようだ。しかし私が神奈川大学で3年前に市民講座で学んだ時には大塚はもう古いんです。今はこのグローバル経済史ですよと語っていた名誉教授がいたのに。要するにグローバル経済史の見方は、どこにも起点がない。どうやって資本主義が発生したか分からない、という。また中心と周縁問題のウォ―ラーステインも固定化されてしまって論理の発展がないということのようだ。

結論

この本の面白さはいろいろあると思うが、大塚、丸山について高い評価をしている前半部分は非常に面白いし有意義だろう。納得される方も多いのではと思う。

ぜひこの本を皆さんも読んでいただきたいのであるが、このお二人の編集者の意図はやはり大塚、丸山の主体的に歴史を知るということが絶対的に必要だといっているように思える。そして明日からの自分の行動が変わっていく、それが学問である、とも言っているようだ。

ついでに

歴史総合という科目はどんなことになっていくのかは興味があるが、昔から古代史もアジア史の中でとらえようという考え方もあったが、良い業績はなかった。また前回ルイス・フロイスの「日本史」を取り上げたがまさにこれも歴史総合的な世界だ。

「灰とダイヤモンド」から見る東欧の苦難

「灰とダイヤモンド」上・下、アンジェイエフスキ作、川上洸訳、原作1948年、岩波文庫1998年

この本は、アンジェイ・ワイダ監督の同名の映画(モノクロ)の原作である。かつて50年くらい前にこの映画を見たことがあり非常に強い印象があった。最後の主人公ががれきの山というか広いゴミ捨て場の原っぱのようなところで、よたよたしながら死んでいく衝撃的な幕切れは私だけでなく多くの人に心の奥底に強い衝撃が残ったのではないか。「灰とダイヤモンド」という表題の言葉を象徴するような最後である。

しかし、ここで言っておかねばならない事は、原作と映画は相当に異なるということだ。大枠は同じである。しかし圧倒的に省略が多く、同じ「灰とダイヤモンド」とは言えないくらいに違いが大きい。ただし、この映画の台本はワイダ監督とこの作家の共同執筆ということなので互いに了解はされていたのだろう。

この本をなぜ読むか

これは先ごろ始まったウクライナ危機の中でロシアの問題、さらに言えば東欧という世界をあまりに知らない、ということからこの分野で小説というものを一度読んでみたいと思っていた。また私の本棚に社会主義文学というのがあってそこにワイダ監督の台本というのか脚本があったがこれはストーリーを追いかけるのに非常にむつかしいと感じて岩波文庫のほうへたどり着いた。しかし今回の戦争でもポーランドの事はあまり言及されていないがかつては同じようなことが起こっていた。

背景

これは第二次世界大戦の最後の日のことだ。1945年5月5日からの4日間という非常に短い間の事件とその周辺の人間模様を取り扱ったものだ。

また細かい説明は省くが、独ソ戦でソビエトが勝利し、ドイツが無条件降伏した。(1945年5月8日)この間の問題を分かりやすく言えば、国家再興問題として、ポーランド独立民族派、ソビエト派と別れる。この経緯もややこしいが、単純化して説明する。このソビエト派は社会主義の理想が正しいとしてソビエトに従属してポーランドを復活しようということである。一方で長い間ロシアの圧政の中にいたポーランド人からすればソビエト政府に従属できないということで、地下組織を作ってテロリスト集団となっていった。このテロリスト集団の一人が主人公である。若い青年、22歳とある。長い間ドイツ、オーストリア、ロシアに蹂躙された歴史、そしてワルシャワ蜂起という終戦間際に起こったポーランド人のドイツに対する一斉蜂起があった。この時にはソビエトの呼びかけもあって起こったが、ソビエトは応援せず見殺しにした。ドイツに攻め込まれて二十万人が死んだとされる。第2次世界対戦全体でで死んだポーランド人は600万人と言われている。ユダヤ人は90パーセント以上なくなった。この時期にカチンの森事件などあり、今から思えばソビエトが信用できるはずもなかったのである。またポーランド人の中にはナチスに協力して同僚であるポーランド人を密告したり、死刑にさせたりして生き延びた人もたくさんいた。それはユダヤ人も同様だった。そういう人たちもまたこの小説では重要な役目をおうことになる。

このポーランドの置かれた長い苦しみを圧縮したのがこの数日間の出来事である。

物語の内容

この戦争によって傷を受けた人たちの物語である。その傷を持った人たちが戦争終結の放送を聞いて何を感じるのか、先に言ったように、独立民族派とソビエト派とに分かれてしまって、終戦記念の良き日を祝う時に、テロリストはそのソビエト派の一人を暗殺する。その暗殺は一度失敗している。この主人公はこういうテロをもうやめたいと仲間に漏らす。しかしそれは上司の命令である、ということから計画通りしなければならないという使命感に縛られる。なぜ彼がこういう仕事をやめたいと思ったか。彼は初めて恋愛をしたのである。その地方都市の大きなホテルにテロの目的のために泊まった。そのホテルのバーで出会った美人でカウンターで給仕をしていた女性を初めて愛したのである。普通の生活がしたいと、「理想」はどうでもいいから普通の生活をしたいと切に願うことになった。しかしやめられず、結局はテロを遂行した。そのあと、町をふらついてワルシャワ近郊の街へ逃れようとしたときに民警に呼び止められる、その時に逃げ出す、そうして民警に背中を打たれてその灰というかごみ広場というか、広い、だだったびろいごみの原っぱに斃れる。映画では死んだことになっているが打たれてすぐ死んではいなくて民警が生きているな、と言っているところで終わる。この幕切れは多少ニュアンスは違うがほぼ映画と同様である。衝撃的だ。ドイツがソビエトに敗れて戦争が終結したその日に死ぬのである。多くの人は終戦を祝っていた。街のお偉方もさんざん酔っている。ホテルもポーランド国旗を掲げたその日にである。この対照性がこの映画が成功したゆえんだ。

またこの事件とは複雑に絡み合いながら多くのポーランド人がホテルで終戦と祝勝会のパーティをしているのである。そのパーティでのいろんな会話が非常に面白い。戦争中何をしていたとかどういう立場だったとか、ナチに協力したとか、そういうことは話したくないとか、出世したいとか。この辺は作者の非常にうまい書き方と思う。エイゼンシュタインのモンタージュ理論を小説化したような書き方だ。フラッシュバックしたり細かにぶち切って話を進める。今会話していたかと思うと違う場面に暗転し話が変わる、というような手法である。

どう感じるのか

この物語は映画とは相当違っているが構想はほぼ同様と思っていいだろう。

ポーランドという複雑に支配されてきた国、国民の気持ちを表現して余りあるだろう。あまりに悲惨、あまりに悲劇的、あまりに苦しい世界だ。これはウクライナにも通じるのではないか。これらの国のことを今更ながらあまり知らない、ということを知るのであるが、もっと、もっと勉強もしていく必要もある。多くの東欧という苦しみぬいた国々、蹂躙された国々のことを思わざるを得ない。

ついでに

この映画の主役の人はアメリカ映画のエデンの東の主役だったジェームズ・ディーンに似ていると思うのは私だけだろうか。また雰囲気がこのジェームズ・ディーン風である。さすがのワイダ監督だと思う。自分の人生や命をなんとも思わないこの無鉄砲な男の役は適役だった(ズビグニエフ・チブルスキー)。愛する女性はエヴァ・グジジェンスカ。美人である。

最後に

この「灰とダイヤモンド」というのは、最初の扉にもあり最後のほうにも出てくる墓場をうろつくシーンの中でこの詩が出てくる。ノルヴィト作「舞台裏」から「永遠の勝利のあかつきに、灰の底深く、燦然たるダイヤモンドの残らんことを」という詩からとられている。ポーランド独立の祈りを込めて表題としたのではないか。