イザヤ書40章1節
慰めよ、慰めよ、我が民よ、あなた方の神は言った。
あなた方に語れ、エルサレムの心に向かって。そして彼女に向かって叫べ。
苦役は完全に終わった、彼女の不法は許された、すべての彼女の罪の2倍のものをヤハウェの手から受け取った、と。
続きを読む “神の激しさを垣間見る”自分を生かそう
イザヤ書40章1節
慰めよ、慰めよ、我が民よ、あなた方の神は言った。
あなた方に語れ、エルサレムの心に向かって。そして彼女に向かって叫べ。
苦役は完全に終わった、彼女の不法は許された、すべての彼女の罪の2倍のものをヤハウェの手から受け取った、と。
続きを読む “神の激しさを垣間見る”イザヤ書21章11,12節
この神秘的な短い預言は何を語っているのだろう。
ドウマの託宣
私にセイルから叫ぶ者がいる。
「夜回り人よ、夜は何時か、夜回り人よ、夜は何時か。」
夜回り人は言った。
「朝は来る、夜もまた。もし尋ねたいなら、尋ねよ、もう一度来て。」
これはまず、夜である。そして戦争状態である。通常の常態ではない。危機の時である。
続きを読む “夜の時代に生きるもの”
聖書
詩編130
文学的修飾を除くと次のような訳になるだろう。順番もこの通りである。
深き所から、私はあなたを呼ぶ、ヤハウェよ。
この深き所から、というのは深いという言葉の複数形だ。多分この複数形は本当に深いという意味だろう。
ある程度正確な状況がわかるように二つの翻訳をここに引用しておく。
イザヤ書7章1から4節。
1、ウジヤの子ヨタムの子、ユダの王アハズの時のこと、アラムの王レツィンと、イスラエルの王レマルヤの子ペカが、エルサレムに上ってきてこれを攻めたが、戦いに勝てなかった。
続きを読む “二つの燃えカスと信仰”創世記3章の蛇の問題、これは月本昭男先生(旧約学、オリエント学)によると賢さの問題を創世記の作者は問題にしているという事のようだ。つまり最初にこの世で一番賢い動物としての蛇というのをさりげなく出しておきながら、神の裁きでは呪われることになる。
詩編23編
ダビデの歌
ヤハウェがわが牧者、私には欠けるものがない。
若草の牧場に彼は私を憩わせ、
憩いの水辺に私をともなう。
わが魂を彼は回復させ、
義の道筋に私を導く、
彼の名のゆえに。
この詩は非常に短い。
クラウス・ヴェスターマンのATD第二イザヤ書注解p50に書いてある。
「イスラエルは、神がその民に許しを与え、回復を決定されたという事をイスラエルに告げるために、この時民に遣わされる使者の言葉によって慰められるのである。この慰めの言葉は全権をもって語られる。「慰めよ」の呼びかけが「道を開け」という呼びかけに進むからであり、また、嘆きを変える使者の言葉に低きものを高め、権力あるもの達を覆す歴史の主の、歴史に介入される行為が対応しているからである。」
だから我々はこう思う。権力あるものを引きずり落とすことはまだできていないが、地上への主の介入について予言されているという事が書かれている。近い将来か、また遠い将来か必ず高いものが低くされ低いものが持ち上げられる時が歴史の中で来ることを、待ち望みたいと思う。そこに希望がある。
(バハールの涙、という映画を見て、クルド人女性兵士の物語http://bahar-movie.com/)
「ベルは臥し、ネボはかがみ、彼らの像は獣と家畜との上にある。
あなたが持ち歩いたものは荷となり、疲れた獣の重荷となった。
彼らはかがみ、、彼らはともに臥し
重荷となった者を救う事が出来ず、
かえって、自分は囚われていく。」イザヤ書46章1-2
イザヤ書40章から第2イザヤの有名な預言が始まる。この時の帰還民は喜んでイスラエルに戻ったのだろうか?
続きを読む “イザヤの時代、帰還民、移民、難民”