タイセンの「新約聖書」の分かり易さ、理解可能な原始キリスト教

読書ブログ261010
G・タイセン「新約聖書、歴史・文学・宗教」大貫隆訳、教文館、2003年2月5日発行@2000円
この本は新約聖書の概論的な、かつ入門的なテーマを取り扱っている感じがこの題名からはする。しかし中身は全く入門書ではなく、概論でもない、基本的には彼の独特の考え方を披歴して一貫性を持たせた書である。1943年生まれというから私よりは6歳上でまあ同年代と言ってもいいくらいの方である。ドイツ人。この本の出版当時はハイデルベルグ大学の新約学の教授だ。

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また後ろの解説にはいろんな本を書いていて非常に興味をそそられる。日本語訳はそう多くはない。新約聖書を学ぶためにマルクスを勉強したという。「イエス運動の社会学」ヨルダン社1981年の本の最後の注のところに、社会学、マルクス主義、放浪のラディカリズムこのことに全く執着はしていないと書いている。ただただ聖書を理解したいという動機に満ちているということかもしれない。多分誤解を受けてきた人ではないか。このヨルダン者の本が日本での最初の翻訳かもしれない。ちょっと変わった聖書理解ということで日本でははやらなかったか。保守的なヨルダン社が扱ったというのも変な組み合わせだ。

この本は最後まで読んでみると聖書の成り立ちについて非常に納得のいく説明が与えられ、きもちもすっきりする。胸に落ちる、納得できるそういう感じの本である。

田川建三
今までの新説で重要なものは史的イエス論である。史的イエス論の派生として生まれてきたのが、エルサレム教会批判としてのマルコである。最近お亡くなりになった田川建三さんがマルコ伝を当時のエルサレム教団の支配者に対して批判をするために書かれたというような説を説いていた。が、実際はどうだったかははっきりしない。証拠はない。反論もかなりあるがどちらも証拠はないので決着はつかなかった。この批判者としてのマルコという考え方はヨーロッパの学者がいいそうなことである。また彼はパウロ嫌いで一貫している。なぜか。パウロとイエスは全く違う。イエスの民衆とともいる牧歌的な思想はパウロによって失われているというようなことを言っていたような気もする。しかしマルコ伝にしろほかの福音書にしろ、パウロの圧倒的な影響のもとに生まれているのだから、マルコ伝のイエス像がパウロと全く違うなどとは言えない。田川の所説は矛盾しているが結構な賛同者を得たのではないか。
しかしその後の史的イエス論もどうなっていったのか?詳しく誰かが書いているとも思えない。表立った反論もなく終了したのか。この当時のことは資料が少なくてわからないことだらけでもある。しかしその分からないことだらけの世界をタイセンは少し分かり易く垣間見せた。一つ一つが納得できるものだ。

放浪のラディカリズム
この「新約聖書」いう本は概説ではもちろんあるが、彼の独特の考え方を披歴している。一番の特徴は放浪のラディカリズムという概念だ。この社会学的な発想から来るこの概念の発案者である。これがキーになり新約聖書、特に福音書の理解が始まる。
放浪のラディカリズムとはイエスの死後弟子集団の行動様式であった。カリスマを所有した弟子たちは地方へ行きイエスを宣教していたという。それが福音書のあちこちに言葉として出てくる。例えば杖も下着も持っていくな、というイエスが語ったとされるマルコ伝の記事がある。これも放浪のラディカリズムの特徴である、という。彼らが実際に日常的に体験していた事の表れだという。タイセンの社会学では福音書に出てくる言葉は何か必ず実質的な現実を背負っているというように見ている。

パウロが矛盾したことを言っている
またパウロはいろんな手紙を書いているが結構矛盾してるようなことも書いている。それがなぜか、だからパウロはだめだとか、だからパウロは理解できないとか、こういう事についてもなぜという問いに答えている。彼は「手紙戦略」を使った。自分が宣教したローマ帝国の中にある教会はいろんな問題を抱えていた。その教会あてに手紙を書くという事。ふつうの手紙ではない。これは彼が牢獄に捕らえられていたがための苦肉の策でもあったが、新しい「手紙戦略」としてタイセンは打ち出している。また、つまりいろんな教会での問題に一つ一つこたえようとしていたから矛盾したことも言ってるように見えるということだ。教会の問題というのは多くは反パウロ的な論争があった。またローマ帝国の法律が変わったり、政策が変わったのを反映しているとも見える。偽書と言われるものに関してもなぜこれだけ多くの偽書が出てきたのか。これも彼の言うところはほぼ明快である。

偽書と言われる書簡
また偽書に関しても非常に分かり易い。パウロの死後以降の弟子集団がその時々の問題についてパウロの名を冠して書いた。それは当然であった。師の名前を出すことは当時は当然であったようだ。そして時代が下れば違った問題が起こってくる。そいう状況の変化に対応して書かれたという。
それについても充分理解可能だ。

さらに聖典に入れられたメカニズムにつても説明がある。これも分かり易い。納得する。

結論
方法論や新しい概念からすると、新約聖書を換骨奪胎しそうな印象を受けるが事実は全く違って結論的には案外保守的な所に落ち着いているといってもいいかもしれない。

ありがたい本と出合えた。また彼の書いている本の翻訳が進んでることもあり、しばらくは日本語訳のものを少し読み進めたい気持ちになる。

投稿者: daiuema

昭和24年東京の浜松町で生まれ、3歳の時引っ越しし千葉市の幕張で育ちました。大学卒業後今のデンカに入りほとんど営業一筋です。ゴルフは31歳から始め現在南総カントリーのハンディ11

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