読書ブログ260317
原武史「象徴天皇の実像,『昭和天皇拝謁記』を読む」岩波新書、24年10月18日発行
参考、「昭和天皇拝謁記」を読む、岩波書店、24年8月6日発行

この本は最近天皇の後継をだれにするかというような議論があったり、皇室の若き女性が国民的関心の的となり海外逃避行のような結婚をしたりで政治的にもスキャンダル的にも話題になっている。
そうした環境もあるが、矢張り戦後責任論的な問題としてこの種の本には関心を抱き続けてきた。
そこで岩波書店から新書という形式で発行されたので入門としてでも読んでおきたいと思った。
昭和天皇の戦争責任論はこの中でも触れられている。特に皇室内部からは責任論が出て退位したほうがいいということもだいぶいわれたようである。
しかしながら原武史の見方によるまとめなので仕方ないかもしれないが、この責任論に関しては、昭和天皇はまともな政治責任、戦争責任をとれるようなしっかりした人格の人ではなかったように感じる。基本的に日本国民に対しての責任ということは彼の意識にはほぼないと思っていいだろう。天皇の向いてる先は歴代の天皇であり、太古のアマテラス大御神であって日本国民ではない。そういうことが何となく見えて来る。昭和天皇のいろいろな発言からあぶりだされて来るのは、どうもそういうことらしい。
この本は短いので読んでもらえればそれで多少のことはわかるが、網羅的なのでそこを知りたいと思っても深くは書いていないといっていいだろう。
この本を読んだ読後感として一応書いておきたい。
はっきり言えば、まったく新鮮味のない新しい発見のない天皇の発言ということだ。この本を読んだだけの感想だから間違っているかもしれない、という但し書き付きであるが。しかしわかったこともある。それを3点あげる。
①天皇は国民のほうは向いていない。彼の戦争責任論はむなしい。彼の責任として考えていることは歴代の天皇と古代の神々に対して感じてるということだった。
②共産主義の勃興については恐怖感を抱いている。これも体制変換という問題から見ると自分が一番の矢面に立つという立場からであろう、相当な心配をしている。ロシア、北朝鮮、大学自治の動きに共産党が関与していることなど。
③宮中の思想は現代に合わないうえに人を苦しませる。
1)現代資本主義の時代、科学の時代には全くそぐわない時代錯誤的な呪術的古代的宗教を宮中で儀式として執り行っていることによる大きな病的な弊害がある。これは天皇の私的行事になった現在でも大きな問題だろう。このことは美智子、雅子という后の精神的病に象徴されて表れているように感じる。二人とも天皇とは一般の人として結婚した。つまり結婚するまでは現代の思想環境の中で育った。しかし二人とも大きな精神疾患を患った。美智子妃の場合は、クリスチャンで精神科医の神谷美恵子が応対した。いかなる過程から立ち直ったかはわからない。またこの本の拝謁記の作者である田島の後は三谷隆信という外交官上がりのインテリクリスチャン(兄は三谷隆正、クリスチャン哲学者、新渡戸稲造、内村鑑三の薫陶を受けている。)が侍従長となる。なんとなくではあるがキリスト教でないとこの古代的呪術的宗教の呪縛から離れさせてくれないのかもしれない。
2)こういう古代の宗教的原理でナショナリズムも起きないだろうし、近代戦争などはできないだろう。自衛隊の一部の人が靖国に参拝したというようなことで批判を浴びたが、頭の中が資本主義と科学の時代にはこの古代の呪術宗教で何とかなるということ自体が頭が混乱して戦争もできないはずだ。防衛大学ではどのような教育が行われているかはわからないが、もっと開かれた、もっと明快で現代的な思想がないと日本はまた戦争したときに敗北するような気がして仕方ない。戦争を肯定しているわけではないが。だから三島由紀夫が主張してる問題は無意味なのである。古代の呪術宗教の担い手が今ここにいても現代には何もできないし、単に腐った飾りでしかない。
この本を読んだ感想としての結論
全体としていわゆるM.ウェーバーの合理性を追及している現代人にこの古代呪術宗教は精神的なバランスを欠いて人をノイローゼにさせるしかない、というところへ結果する。
今言えることは、共産党も承認し、左派の多くが問題なしとしているが、この天皇制が現実的になくならないのであればあの宮中儀式をやめて三種の神器などを放棄できないだろうかと思う。そのほうが国民と皇室にとってもいいのではないか、と思う。結局宮中には病があることがわかった。病の元凶も見えてきた。これが人を苦しめる。