読書ブログ251106
井上光貞著「天皇と古代王権」岩波現代新書、吉村武彦編、発行2000年10月16日

この本は
彼の著作集の中から代表的な古代史に関する論考を何篇か取り出して編集したものだ。
内容は結構難しいものである。そのなかの第一編にある「日本における古代国家の形成」という章を取り上げる。ほかの章に比較して一般論を展開しているためである。
ほかの章は非常に細かい史実を積み重ねているが実のところそんなに分かっていないことの積み重ねである。古代史の限界というか、わからないことが多い中での資料と資料との間の隙間を想像して埋めるしかない事情というもののためにいくら研究してもその分からないという感じはどうしてもぬぐえない。結局は日本書紀と古事記、それに外国、特に中国と韓国の宮廷資料、一部の石碑などからしか証拠的なものが出てこないので仕方ないというところである。いくら古代国家成立論というものを大見出しにしても実のところそこがはっきりしていないということが色々な本を読んでみて私には最近分かってきて納得しているところである。
1,この章の内容
(1948年度古代史学会という言葉が見えるので、戦後間もない学会の発表論文であるようだ。公表されたのは1951年と解説の書誌にある。)
こんなに大雑把な素描というものが我々古代史に関心が少しあるものに取ってはありがたい。簡単な筋書きがないと全体が見通せない。そういいうこともあってこれに関してどういうことを語っているかを紹介していきたい。
世界史を見渡すと、古代に関してヨーロッパではエジプト型の発展とポリス型の発展ということが言われている。これは井上がMウェーバーの古代農業事情から歴史発展のの段階論というものを読み込んで日本古代史にも応用できないか、というところから始まる。
2,発展の二類型
簡略化して書くとこういうことになる。西欧はオリエント型とポリス型の発展の二つの経路があった。オリエント型とはエジプトや中国にある専制国家体制で人民は王様のものであった。一方でポリス型は市民のための国家であった。市民のために劇場を作り、市民のための広場を作った。オリエント型は王様のためにすべてのものがあった。これは日本も同様にオリエント型の発展の傾向を示している。これはイデアルティプスという理念型モデルである。この通りかどうかは現実に違ってもいいのだがその類型の発展の方向を特徴的にとらえていればいいのである。
彼はここに問題意識があり、どのようにそうなっていったのか、WHYよりHOWにこだわって探求したいと言っている。
3,ヤマト王権の内部統合と国内支配の手法
ヤマト王権と一言で言っても、この中身には皇室の独裁と国家の経営のための税の徴収権、賦役の要求権その他もろもろの支配のための官僚組織やその編成構造がある。多くは天皇の独裁制あるいはカリスマ性に注意をひかれがちであるがその支配、経営の編成構造に国家の成立、形成があったのではないかということに着目しているのが本論文の特徴だ。
簡単に言うとヤマト王権の支配が固まりつつあるころには屯倉がそうとうに増えてきているというところを見ている。
(屯倉とはヤマト王権の直轄農地の倉庫などを最初はさしていたが、転じてその農地、周囲の課税地区、耕作民を指す。ヤマト王権の経済的基盤であるとともに地方支配を拡大するための政治的軍事的拠点。御宅、三宅、官家、屯家とも書く。平凡社日本史事典)
4,3世紀と5世紀の大きな変化
3世紀は邪馬台国で、ある意味英雄時代、5世紀はヤマト王権となり専制国家。
諸豪族を圧倒して行く皇室の力によって屯倉の拡大とともに諸豪族の生き生きとした力は失われていく。この間に官人支配の進展、国家的土地所有の展開があった。
小国家群の長の多くが臣、連のかばねを与えられヤマト王権の中に取り込まれ国造という地方官になることによってその力を消失していきさらに言えば天皇家の身分秩序の中に入っていく過程でもある。5世紀初めの屯倉は全国で100を超えるといわれている。この時に多くの渡来人を投入して大規模な治水工事などを行った。さらに彼らを強制移住などさせたようである。その姿は東洋的専制国家の様相を呈し始めている。
5,6,7世紀
律令国家
唐の法律を模したものではあるが、その裏側では広範な官僚組織を形成している。
朝廷での事務のために伴造→品部の組織などという広範な官司制的組織が出来上がってくる。
特徴は天皇の支配権、官人支配、国家的土地所有
6,天皇の支配の確立
天皇の支配の変遷
要するに天皇個人の資質によるカリスマ的支配というものが見える一方で、上に述べたような支配機構の進展によって諸国家群の前面に出てくる機構としての権力がまた大きくなっていくのである。ここで重要なのは、屯倉の発達と官司制の発達に彼は着目している。
天皇のカリスマ支配、と官僚制が同時に成立していくのがこの6,7世紀である。4,5世紀には天皇の実力、軍事力、カリスマ的力を背景とした豪族的かつ専制君主的なものをまとっていたが、6,7世紀になると、その豪族的装いは後退して専制君主的かつ官僚機構的な支配を装うようになってくるように見えるという。
このことが、4,5世紀と大化の改新以後の6,7世紀の差であり違いだという。このまま律令制国家へと推移していく。
この大きな差はどこから来るかと言えば、先に述べた屯倉と官僚機構である。この精緻に作られた官僚機構によって、天皇と直接的に関係しない支配被支配関係が形成される。そのことによって天皇の持つカリスマ性も後退していく。
これはM、ウェーバーのカリスマ支配から官僚制という構図と全く同じであるといえる。これを下敷きにしている可能性はあるが、ウェーバーも世界中にあるこういう支配の合理化についてはよくよくうまくとらえる概念を持っていたということだ。
分からないことも多い世界だが素描としてはわかりやすいかもしれない。いろんな関係する学者の論争を交えながらも簡略に書かれている。三回くらいこの最初の章を読んだがやっと筋書が見えてきたというところだ。