読書ブログ250801
旗田巍著 元寇蒙古帝国の内部事情 中公新書 昭和40年9月発行(1965年)

今回はこの本を紹介していきたい。
この本は蒙古襲来と言われている日本の二回の元寇について蒙古、高麗側からこの戦争を描いたものだ。なぜこの本を読むようになったか。それは高橋典幸編 中世史講義(戦乱編) ちくま新書、2020年4月発行、から示唆を受けたものである。これに半世紀以上前の著作であるが、歴史を見る視点を変えることは現代人にとって重要であることを教える。中世史講義の当該箇所の最後に4,5冊紹介されている中の一冊である。多分この高橋氏にとっては重要参考文献ということではないか。
1,今までの生半可な理解
この戦争に関しては司馬遼太郎の話が印象的で倭寇の人たちもいたとか純日本人もいたとかいう話の方に興味をもってこの事件の本質的なところは何も知らずにいた、と言える。
この旗田巍の本を読むとこの元寇の意義は歴史的にはっきりとイメージされる。
このテーマで今までの自分がどれほど理解していなかったかということを身にしみてわからせてくれたものである。
つまり北条時代に元寇が二回来てそれが故に鎌倉幕府崩壊の道筋が出来上がったような理解をしていた。しかし理解がどれほど浅薄であったかということだ。これを世界史の文脈で見る必要もあったのであるが自分も島国根性的視野しかなかったということだ。日本では先の参院選では外国人問題をどうにかしたいような意見もあったが、そういう意味では日本人の大半がやはり島国根性であって海外のことや海外の人達がどんな生活をしているかについては基本的には関心がない。自分を日本人の代表と考えるとそうなる。
2,初めて理解したこと
しかしこの本を読んでみて初めてわかったことはモンゴルという国がいかに強大であり征服欲に満ちた国家であったかである。中国史でも漢民族ではない周辺異民族との長い攻防の歴史があって、必ずしも漢民族中心の歴史ではなかった。漢民族だけの歴史を取り上げると案外短いかもしれない。その漢民族以外の国々はまたその国の軍隊は世界的に見ても最強というくらいのものだった。地続きのために高麗という国がどれほど辛酸を舐めさせられたか、ということが一つもわかってこなかった。歴史の教科書、日本史の山川版を紐解いても高麗の苦悩、苦渋、苦痛については触れていない。彼らの苦悩、苦渋、苦痛というのはモンゴルだけではなく高麗内の身内の敵も多かった。モンゴルに投降してモンゴルの兵になるものも多く、その中のある将軍は完全に高麗の敵となったものもいた。そういう内と外からの高麗の戦いの中で主権国家としての地位も危うくなった頃に元から日本遠征ということが言われて5千の船艙の徴用、食料、兵隊の供与などから高麗は全く疲弊してしまった。何度も高麗の王はモンゴルに手紙を書き、国家を維持のために減額申請の嘆願していた。このころの歴史が今の韓国の精神的骨格にもあるものかもしれない。この高麗の王は王としての力がそぎ落とされ権力は非常に小さかった。。非常に弱い権力基盤の上にいたので国家は大きく揺らぎ国力は低下していった。三別抄という国内の敵もいた。
3,国際的な権力争いの渦の中で
その中での戦いである。日本は蒙古襲来などと言って黒船が来たときと同じ感覚を持ってしまうのであるが日本の周辺では血みどろの戦いがあったのである。しかしそういうことは何ら現代まで学習されずに来ているのではないかと恐れるのである。偶発的にやってきた敵でありそれが神風で日本が勝った、ということだけが頭に残っているのである。どうだろう、この日本史という虚構の歴史と言わないまでも世界の歴史の中に地位のない歴史というものがあるのだろうか。著者が言うように確かにアジアのこの強国に対する周辺国の戦い(高麗、ベトナムや敗北した宋の反抗)が日本にとっては緩衝となり大きな敗北にならなかったということだったのではないか。その後も日本は海という防壁に守られて、鎖国状況を続けられて海外を一切気にしないで生きてきたのである。しかし黒船に至るまでは国家が本当に革命的に変わることはなかった、海外の衝撃は第一波を元寇とすると、キリスト教の第二波、第三波は黒船。第四波は第二次世界大戦の敗北。結局この大戦の敗北で最後の破局を迎えたのである。特に二回目の元寇の時のモンゴルからの使者を殺害することは一番危険なことであった。(1回目は返事を出さない。)なぜ国家の使者に対して、正式の文章を書いて正面から反論することはできなかったのだろうか。むしろそういうことが問題とはならないのだろうか。そういうことに疑問を持った幕府側なり討議はどうだったのか、三別抄が日本に共闘を求めてきたり(この時の討議の内容は残っている。しかし最初に来た元の使者の手紙とはあまりにかけ離れているので却下された。これは国際情勢に対する無知だったのではないか。)、南宋もモンゴルの動きを日本で邪魔したりと福岡の大宰府近辺では国際外交がひそかに争われていたのである。三別抄については日本の貴族は何も知らなった、とある。(中世史講義、高橋氏の当該箇所参照)
世界の常識からすれば使者を殺す事ほど危険なことはなかったのではないか。歴史の理解からすれば非常に疑問の残る話であり、先にあげた中世史講義もその点には触れずに、最近の元寇に関する学会の意見を出しているが、日本の対応の仕方については問題あったのではないのだろうか、という疑問が起こる。
4,結論的に
この元寇問題一つとっても日本史のあり方の問題が浮かび上がる。
歴史の見直しなどと言っているが、島国根性の日本唯我独尊の歴史だけは勘弁してもらいたい。今回の参議院選挙でも、その島国根性の持ち主の方が新しい政党を作ったのでびっくりしたが歴史的に海外の状況から目を背ける人たちが集まって日本の国政に携わるというのは本当に危険である。海外の使者を殺すようなことだけはしてほしくない。
参考;三別抄;もともとは高麗の中央軍であったが、モンゴルの命令による遷都に反対して反高麗、反モンゴルとなる精鋭軍。詳しくは「朝鮮を知る事典」平凡社。
この旗田巍の本を読んだあとは、豊臣秀吉の朝鮮出兵だ。やはりこの戦争の無知と無謀について学んでいきたい。