イスラムと偶像崇拝

「反西洋思想」I・ブルマ、A・マルガリート、堀田江理訳、新潮新書、2006年9月発行(原著2004年発行)

なぜこの本を読み始めたのか

一番私の頭にあったのは、なぜこうも欧米、特にアメリカはすべての基準を作れるのか。基準とか規則とかスタンダードとかオリンピックのルールも同様であるが国際基準を作ることができるのか。ほかにもっと安定的な世界の基準というものがないのだろうか、あるいはそういう基準を作れる思想というものはないのだろうか、という発想だ。欧米発の科学、経済、法律、制度、国際的な取り決め。あるいは基本的な学問。何かもが欧米である。今回のウクライナ停戦問題もアメリカが中心となって決めていく。どこまで成功するかわからないが、あるいはガザの処理も何故イスラエルとアメリカでこれほどまでに強引にやれるのかということが不思議だ。こういう現状、非欧米基準というものはないのか。ほかの基準というものは何処かにないのか、と探していたらこの本に出合った。しかし、この本に関して言えば、そういう狙いとは全く別の問題を取り扱っていた。新書ではあるが、なかなか難しいテーマを取り扱っている。

概略

この本はNYでの同時多発テロ9.11(2001年)の世界タワーの崩壊を受けてなぜイスラムはこのように欧米をテロによって破壊しようとするのか、という問題意識である。なぜ欧米に反感を抱きそこまで暴力的なれるのか、という問いである。だから私の問題意識とはべつではあるが、非欧米ではなく反欧米であるので一応中身をのぞいて勉強しようという気になった。

内容

①反西洋思想

反西洋思想というものは数多くあって、日本にもイスラムの世界にもドイツやロシアにもある。当然中国にもあった。そういう反西洋思想というものをかき集めて、一つ一つどういう反西洋思想なのかということを突き詰めて、論評しながら最後にこの考え方をオクシデンタリズムと名付けた。オクシデンタリズムとはサイードのオリエンタリズムの発想からきていると思われるが、この特殊用語の意味は暴力的反西洋の思想、という意味で使っている。単に西洋嫌いとか憎しみとか反感とかいうものではない。その憎しみと反感が自爆テロなどの殺人的暴力になぜ結びつくのか。どこにその原因になる思想があるのかという事を分析して見せたのがこの本である。そういう意味で言えばこの本では扱っていないが、パウロが書いたロマ書と言うのは当時の先進文化であるヘレニズム文化(ギリシャ文化)を批判して出てきている。これも一種の反西洋である。

②反西洋思想の代表的なもの

イ、日本の近代の超克から日本の特攻隊特まで、特攻隊の青年達はインテリも多く手記にはマルクス主義などの左翼的な本も多く読んでいるとある。特攻隊の父という方の影響が大きかったようだ。その方は敗戦日本を見て割腹自殺をした。やはりこれにも思想があって亡国日本となってもこの特攻隊の行為がなければ本当に真の亡国になる、といって死への飛行を勧めた。今考えるとあまりに観念的であり、自分の肉体の死と国家を直接結び付けすぎている。ビン・ラディンなどとも類似の行動、考え方がある(この著者は日本の事に詳しい。)

詳細は本書を確認していただきたいが下記の事も書かれている。

ロ、中国毛沢東主義

ハ、ロシア汎スラブ主義

ニ、ドイツのナチズム

③イスラムの反西洋思想

北と南論とか反植民地論の思想から発生していることは確かである。またその抑圧する西洋というものが世俗であり偶像崇拝であり,讀神的であり、性的であり、拝金主義であり、全くの物質主義である。西洋はマルクスの言う物神崇拝である。

イスラムの急進主義は,特にヨーロッパに留学した人たちがもたらした。。ロシアの汎スラブ主義やドイツのロマン主義の影響を受けているという。それらの思想の一番の特徴は英雄主義的な人生というものに意義を見出すような思想である。ニーチェのツアラトゥストラなどのような。(英雄と凡人、英雄主義的なドイツロマン主義の思想は多大な影響を与えた。)反西洋思想の多くが西洋の思想を下敷きにしている。つまりイスラム過激主義的な世界はイスラムと西洋の思想の混交物だ。ビン.ラディンが代表、現在のロシアプーチンもそういう意味では反西洋である。これは相当に根強い。

結論として

簡単にこの本をまとめるとこうなる。

西洋への反感、憎しみというのは反植民地主義的な発想から昔からあった。しかし過激主義への一歩は根本的な問題としては次のような考え方が骨格にある。現在のイスラムの中では古い「ジャーヒリーヤ」(これは偶像崇拝による無知という意味)と一方で「新ジャ―ヒリーヤ」(これは新しい解釈であって、偶像崇拝による野蛮、ムハンマドはこの野蛮人を一掃するために遣わされた。無知という解釈よりより有害、より悪徳な意味を持つ野蛮という言葉で再解釈された。)という新しい概念が出てきた。(イランの活動家サイード・ムハマド・タレカニが重要な推進者)さらにサイード・クトゥープが聖戦で命を落とすことは利己的な野心や堕落した圧政者を打ち負かすことを可能とする、という考え方を打ち出した。さらにパキスタンのイスラム急進主義マドゥーダがより過激になって登場。(この人はレーニンの影響を受けている)この3人の思想が共通するのが「新ジャ―ヒーリーヤ」である。

この思想が単に西洋批判ではなくて暴力への道をを開いてテロを形成している。つまりテロを後押しする思想があって現実に多くの事件が起こるのである。この本では中心的なテーマだ。多くの人は抑圧されているイスラムだから欧米人を憎み、反発し、嫌い、殺害するのだと思っているが実際はイスラム思想としては特別な思想がその原因を作っている、ということだ。

なかなか理解しがたい考え方だろう。特に偶像崇拝への嫌悪がなぜ、人を殺すところまで行くのかというところの偶像崇拝への意識の重さが中々理解しがたいのではないか。私もこの本を読んで最後までこの過激な思想が偶像崇拝の解釈を通じて出てきているという本書の説明だけでよく理解できなかったが、何回か分かりにくいが読んでいるうちにそういうことかと納得したが、その偶像崇拝がどれほど深刻な問題であるのかは根本的な理解が出来ていない。

(イスラム主義者ムハマッド・イクバル=パキスタンの精神的父と呼ばれている、は全く違った西洋批判を展開しながらもオクシンデンタリズムにならない方向にいた。)

この著者の意見をどう受け止めるべきか。オクシデンタルという考え方の変遷を見てどう思うか。イスラムもイスラム思想も一つではないということである。当然と言えば当然だ。

投稿者: daiuema

昭和24年東京の浜松町で生まれ、3歳の時引っ越しし千葉市の幕張で育ちました。大学卒業後今のデンカに入りほとんど営業一筋です。ゴルフは31歳から始め現在南総カントリーのハンディ11

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