「空の空」ー知の敗北、中沢洽樹、山本書店、1985年発行
イザヤ書の専門家である、中沢洽樹がこういう本を書いているとは知らなかった。
中央公論者の世界の名著シリーズの新書化された中の旧約聖書は中沢洽樹氏が編集し翻訳もしている。その中になぜか、コーヘレトが入っているのが不思議だったが、その彼の最期のほうの注が非常に印象的であった。比喩を重ねてあり、表向きはきれいな話だがちょっとわかりずらく、比喩を解けば死にゆく老化の話である、という二重構造になっていることを指摘してあった。これがきっかけで彼のその他の本があるのかないのか気にしていると、図書館にこの本があった。
内容は、ヘブル語原点にさかのぼって考えていくという正攻法であるが、彼の基本的な考え方というか方法論は、キーワードを中心としてモチーフを探るというやり方である。何を言っているのかわからなくなるとキーワード、彼は基調語といっているがそこへさかのぼるのである。ヘブル語はやっている人にはわかるが、語の意味が幅広い。悪といっても我々が考える悪とか悪人とかそういうことを含みつつ、災害、苦難までも悪と理解するのである。そういう幅広い意味を持つ言語は解釈が幅広くなる。つまり解釈者によって大幅に違ったものになりやすい性質である。こういう方法は勉強もそうだが、何かをわかっていくというときには非常に重要なやりかただろうと思う。
この本の結論は
このコーヘレトなる人物は、知恵の教師でかつ相当な高齢者であると想定している。知恵を弟子や宮廷で王に進言するという役割をもった人たちでありある意味職業団体の一員であるようだ。その中でも相当に秀でた人であるようだ。
この知恵を研究してきた人物は、人生の虚しさをこれでもかというくらいに語るのであるが、表題にあるように、知恵にやはり救いはなかった。知恵を人生の指針とするには絶望しかなかったということだ。これについては旧約聖書の限界という話で終わっているが、結局知恵は救いに勝るものではなかった、ということで神を求めず知恵を求めた人の絶望というようにとらえられている。旧約聖書をこのようにみる見方は珍しいのではないか、一般的ではないようには思う。そこに彼の面白さがある。
最期に
このコーヘレトがいかに絶望的であろうと、この中沢洽樹の著は、コーヘレトと対話しているかのようである。コーヘレトの肉声に迫るものがある。そして聖書というものを読むという行為はこのように書かれていることを盲目的に信じるということではなく、この記事を書いた作者と対話するということであることを教えられた。非常に優れたコーヘレトの解釈ではないかと思う。
この本は、図書館で借りたものである。アマゾンには古本としては販売されているようである。彼の選集もあるにはあるがこの本が収録されているのかはわからない。ぜひご一読願いたい本である。