最近の自殺について聖書から見つけた言葉
慰めのある言葉を見出す。聖書はいつも突然深い衝撃を与えてくれる。それはその人にしかわからないのかもしれないが、一つ一つの言葉が普通の言葉ではない。誰も言わないことを言うのである。また語られている言葉がいつも重く、しっかりとしている。どうでもいいようなことは一つもない。そういう言葉が見つかった。
箴言14章13節
「笑うときにも心に悲しみがあり、喜びの果てに悲しみがある」
これは原語ではどうなっているか。
笑うときでさえ、あるいは、笑っているときでも、心を痛めている、もしくは心につらい思いがある。
次の節は、喜びの最後には悲しみが(ある。あるいは待っている。)喜びの先には悲しみが、とある。
この言葉は非常に慰めのある言葉ではないだろうか。
普通は悲しみの果てに喜びや、望みがあるとかいうのではないか。その逆である。人間の観察の鋭さと言ってもいいのではないのか。そう、我々は笑っていても、いつも心の奥底にはつらい思いをたたえている。悲しみも心の奥底に貯蔵庫のようにある。そうやって生きている。この普通の人間の心の奥底を理解した人の発言だ。今著名なひとが自殺する。なぜそんなに裕福なのに、かつそんなに有名なのに堂々としていればいいのにと思う。しかしそこには心の奥にはつらい思いが貯蔵庫のようにあるのだ。これが人間だ。有名だろうと、お金があろうと、笑っていようと果ては悲しみが待っているという事を理解しよう。神がすべてを支えていることを知ることによってこの悲しみもいくらか減じることも可能である。子供を失って精神病になる人もいる。治っても苦しいのである。しかももう笑う事すらできないかもしれない。悲しみとつらい思いに背を向ける必要もない。人間はみんなどうようの思いで生きている。
これ以上の説明は必要ないと思う。それぞれの方がこの言葉を味わえばいいのである。