イザヤ書21章11,12節
この神秘的な短い預言は何を語っているのだろう。
ドウマの託宣
私にセイルから叫ぶ者がいる。
「夜回り人よ、夜は何時か、夜回り人よ、夜は何時か。」
夜回り人は言った。
「朝は来る、夜もまた。もし尋ねたいなら、尋ねよ、もう一度来て。」
これはまず、夜である。そして戦争状態である。通常の常態ではない。危機の時である。
この夜がどのくらいで朝を迎えられるのか、という問いである。
我々の時代の問いと全く同じである。夜である。深い闇の中にいる。誰かに聞きたい。いったいこの苦難はいつ終わるのかと。この世界の苦しみはいったいいつになったら終わってどこへ我々は行くのか。救いはやってくるのか。この人間としての誰かに聞きたい問い、がここにある。そして一番ふさわしい夜回りをしている見張りにこの問いを問いかけた。
この答えが、朝は来る、夜もまたである。暗示的である。夜もまた来るのである。まだまだ危機は続く、といっているようでもあり、小康状態になるかのような答えでもある。この多義的答えがまた重要であろう。この答えは考えさせられる。解決は一挙には来ない。一瞬で終わったと言えるような状態にはならないという事を言っている。疑問はさらに深まった。これこそが問いと答えである。問うことによって疑問がさらに深まり悩まされる。しかしまたもう一度聞きたければ、戻って聞きに来なさいという。ここに何か深い真実が潜んでいるような気がする。こういう答えは神的といってもいいのではないか。夜回り人の答えが闇に消えていく。夜の静けさが声の響きを一層鮮明にしているようにも思える。
(歴史的な詳細は、関根正雄著作集第8巻参照、その他ATD当該箇所)