
聖書
詩編130
文学的修飾を除くと次のような訳になるだろう。順番もこの通りである。
深き所から、私はあなたを呼ぶ、ヤハウェよ。
この深き所から、というのは深いという言葉の複数形だ。多分この複数形は本当に深いという意味だろう。
この言葉は、詩篇69編が参考になる。大水が自分の頭の上を通り過ぎて行った、とある。
いずれにせよ、自分が深い穴のように低いところにいて絶望の極致にいるという事である。どうにもならない状態である。神からも遠い、声を出すにも出せないくらいに遠いところにいる。そこで作者は、はたと思い出し、気が付いて、唯一の希望に賭ける。そして声を出して神の名に呼びかける。この絶望の極致の問題は、取り返しのつかない処にいる感情だ。自分がいまさら誰かと争うのか、今更この世間に勝てるのか、地位をそして名誉を挽回できるのか、そう考えると一切合切が無理なのである。いったい自分は自分というものを取り戻せるのか。もう一度自分になれるのか。そういう悲嘆にくれた、光さえ差し込まない状態、自分を見失い、どこまで自分は惨めなのだろうという、意識だ。
そして彼は声を出した。この低いところにいるからこそ出せない声を出した。ある程度いい境遇にいるとこういうふり絞ったような声は出せないだろう。最後のわらをつかむつもりで声を出す。それが神ヤハウェを呼んだのだ。だからこんなに単純な言葉に集約できるのである。ヘブル語でたった3語である。
そしてこの深き所より、という言葉が最初に出てくるところからしてこの言葉が最重要な地位を占めている。これがこの詩篇のテーマなのだ。真のテーマはこの深き所なのである。自分の持てる一切合切の悩みや苦しみをこの一言で言い表したのである。だからこの深き所の背景にある個人史を膨大に想像させうるものだ。そこに視点を置き読むとすべてが見えてくる。
このテーマは聖書を超えて、世界中にある問題を言い表している。神を呼ぼうとしている人たち。声を出せない人たちのそれぞれの膨大な個人史を想像させる。深い絶望の中から爆発するような救済が待っている。これらの言葉は、それを信じ、行動する、という事を促している。