詩篇123は非常に短い詩だ。

この詩は非常に短い。

しかし、ほかの詩篇とは違うリアリティーがある。
「僕がその主人の手に目を注ぎ、はしためがその主婦の手に目を注ぐように」我らの神に目を注ぐとある。
どういう主人かどういう主婦か、わからないが仕えてるものからすればその一挙手一投足が不安を作り、苦しみを作り、悲痛を作り出すのである。だからこそすべての感覚を動員してじっと手を見ているのである。物凄い集中力である。この僕と婢女の立場に身をおいてこの作者は書いている。その沈んだ気持ち、そして低い場所が信仰のためにはどうしても必要だ。そういう所、状況にいないと信仰は生まれない。神は貧しいものの神なのである。この世界の価値観とは全く違う価値観を神が持っている。出来るものの神ではなく婢女の神なのだ。主人の神ではなく僕の神だ。実にその通りと思う。

投稿者: daiuema

昭和24年東京の浜松町で生まれ、3歳の時引っ越しし千葉市の幕張で育ちました。大学卒業後今のデンカに入りほとんど営業一筋です。ゴルフは31歳から始め現在南総カントリーのハンディ11

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